長府は江戸時代、長州藩の支藩である長府藩の城下町として賑わいました。現在でも当時の街並みがよく保存され、古民家を再生したカフェなどの料飲店が多く名を連ねます。 こちらの昭和レトロもいいですね。 長府毛利邸 毛利家は鎌倉幕府の御家人大江輝元の子孫に当たります。長府藩の初代藩主の毛利秀元は、従... 続きをみる
2025年4月のブログ記事
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旧放駒部屋と乃木大将ゆかりの地・城下町長府:長州の旅・下関北九州編⑪
長州の旅、最後の訪問地は長府でした。長府には下関から国道9号線(山陽道)を経由する路線バスが頻発しているので便利です。かつて長門国の国府が置かれ(長府の名の由来)、江戸時代は長州藩の支藩・長府藩の城下町として栄えました。歴史上重要な地域ではありますが、行政区画上は下関市に属し(1937年、昭和1... 続きをみる
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中世・近世ともに歴史の舞台となった下関:長州の旅・下関北九州編⑩
下関では唐戸市場でランチの後は、山陽道を東に進み、阿弥陀町に進みました。この地には895年(貞観元年)創建の阿弥陀寺がありましたが、明治時代の神仏分離により阿弥陀寺は廃止され、神社となり、天皇社と改称しました。さらに1875年(明治8年)に赤間宮と改称。官幣中社に列格されました。その後、1940... 続きをみる
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(情報共有)目の悪い方はA社のタブレット端末はお勧めしません
タブレット端末をご利用の方に情報共有です。 現在、シェアトップのA社のタブレット端末を使用していますが、昨日より調子が悪く、修理を依頼しようと考えていました。近くの大手家電量販店に持ち込んだところ、現在A社製品の修理は受けていないとのことで、A社の店舗と予約のためのカスタマーサポートの電話番号... 続きをみる
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昨日の土曜日、亀戸天神社の藤まつりに行ってきました。駅からの道には、藤まつりののぼりが掲げられ、盛り上がりを見せていました。 蔵前橋通りの通行人もいつもより多かったのですが、参道に入るといつもと違う賑わいに圧倒されてしまいました。 境内では藤がきれいに咲いていました。 スカイツリーが藤棚の... 続きをみる
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今回の旅行で楽しみにしていたことの一つに、日本有数の魚市場下関・唐戸市場での海鮮ランチでした。 唐戸市場には、当地名産のフグの巨大なオブジェがあります。 市場は見学しやすいような設計になっています。この日は正午を少しまわったタイミングだったので、残念ながら仕入れに来る方はもう少なくなっていま... 続きをみる
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かつては関門海峡は関門連絡船が門司港駅と下関駅の間を結んでいました。関門鉄道トンネルの開通後は、しばらく関門鉄道トンネルが通らない門司港駅付近と下関を往来する地元住民のために旅客船が運行されていましたが、民間の関門汽船や関門国道トンネルを通るバスへの旅客移行が進み、廃止されてしまいました。 現... 続きをみる
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歴史的建造物が多く残る門司港レトロ:長州の旅・下関北九州編⑦
今回は門司港駅周辺の「門司港レトロ」地区の報告です。 日本にバナナが大量に輸入されるようになったのは1908年(明治41年)頃とされています。当時のバナナの産地は日本の領土であった台湾で、地理的にも近い門司港に荷揚げされ、市場が設けられました。このバナナをいち早く現金化するために露天商の手を経... 続きをみる
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以前、銀座にある珍名店「スケベニンゲン」の紹介をしましたが、このたびディナーに出かけてみました。 銀座の珍名レストラン:でも店員さんは真面目そうな方でした - あちこち旅日記 店名はオランダの地名ですが、ジャンルはイタリアンです。この日オーダーしたのはコース料理「チンチンコース」でした。2... 続きをみる
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小倉城の次は、門司港に向かいました。 門司港駅は鹿児島本線の起点駅になっている。いわゆる「どん詰まり駅」です。 門司港駅は関門トンネルが1942年に開通するまでは九州の玄関口として、関門連絡船との連絡駅にもなっていました。 駅舎は重要文化財に指定されています。現役の駅舎では、東京駅と並び当... 続きをみる
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小倉城のハイライトは何と言っても天守閣です。江戸時代の天守閣は幕末に焼失してしまっており、現在の天守閣は1959年(昭和35年)に再建されたものです。 1F受付に、「日本一楽しい小倉城」の気になる看板が・・。 まずは、順路に沿って展示物を見て行きます。 コスプレ写真がとれます。 迎え虎(... 続きをみる
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小倉城の施設として有名なものに小倉城庭園があります。ここは、江戸時代に小倉城を居城とした小笠原氏の別邸であった下屋敷跡を復元したもので、大名庭園と江戸時代の書院を再現し、展示棟も併設されています。 庭園 庭園から見た書院。 日本百名月の地にも選ばれています。 展示棟 展示物には茶の湯や礼法に関... 続きをみる
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これまで何度か吉祥寺のグルメ情報を投稿してきましたが、美味しい店が集まっているのが楽しい街です。 孤独のグルメにも登場した「カヤシマ」 吉祥寺でB級グルメを楽しむ - あちこち旅日記 サトウのメンチカツ 1年ぶりに吉祥寺さとうのメンチカツ:3割値上がっても行列は続く - あちこち旅日記 値... 続きをみる
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小倉城は1569年(永禄12年)の中国地方の戦国大名だった毛利氏により築城されました。1587年(天正15年)に豊臣軍が侵攻し、家臣の森勝信が入城しましたが、勝信は豊臣秀吉により毛利姓を名乗るように命ぜられています。 その後、関ケ原の戦いで徳川方についた細川忠興が豊前国(現在の福岡県東部、大分... 続きをみる
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長州の旅は3日目最終日を迎えました。この日は関門海峡を渡って北九州に足を伸ばしてみることにしました。 関門海峡を渡る場合、ICカードが使えないため、駅の券売機で紙のきっぷを購入する必要があります。ホームに上がると観光列車瑞風・トワイライトエクスプレスが停車中でした。いつか乗ってみたい列車です。... 続きをみる
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下関についた時は夜8時近くになっていました。 駅のホームにチョークで描いてあったフグの絵。 東口を出ると巨大なお城のような建物が。ノートルダム下関という結婚式場で、カフェやレストランも併設されているようで、夜も営業していました。 この日は夜遅くなることがわかっていましたので、出来る限り駅前... 続きをみる
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大阪でも市内と郊外では、随分街の印象が変わってきます。今回は、郊外のベッドタウンJR茨木駅周辺に行ってみました。大型店から個人営業の店まで揃っており、若い人が多く活気のある街という印象でした。 駅西口から真っすぐ走っているのが南千里茨木停車場線(通称:エキスポロード)です。駅から歩いて10分ほ... 続きをみる
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大阪府の面積は、47都道府県の中で香川県の次いで2番目の小ささですが、古くから発展していたことから、律令制の下では河内、和泉、摂津の3国から構成されていました(逆に、旧武蔵国は廃藩置県後、東京都、埼玉県、神奈川県東部に分かれており、現在の人口規模は突出して多くなっています)。 律令制の下では、... 続きをみる
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美祢駅からは美祢線に乗り厚狭に行く計画でしたが、一つ問題がありました。実は美祢線は2023年6月30日から7月1日にかけて西日本で発生した大雨の影響で、四郎ケ原駅~南大嶺駅間にかかる第六厚狭川橋梁が崩落し、全線が普通となっています。このため、現在はバスによる代行輸送が行われています。 美祢駅は... 続きをみる
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秋芳洞のバスターミナルからはJR美祢駅に出て、厚狭でJR美祢線から山陽線に乗り換え、下関に向かう予定を立てていました。 美祢駅に行くには、日中1時間に1本出ているあんもないと号を使います。あんもないと号は地元の船木鉄道による船鉄バスが運行していますが、あいにく数分違いで乗り過ごしてしまい、バス... 続きをみる
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秋芳洞はバスターミナルから土産物街を歩いて数分のところにあります。 入場券売り場に到着しました。 エレベーターを80mほど登ると秋吉台に出ることができます。 ここからバスに乗ることもできますが、もう一度下に降りて奥に進みます。 ここが終点です。 ここを登ると出口に出れます。この... 続きをみる
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萩から秋吉台を車窓に眺めながら秋芳洞へ:長州の旅・萩秋吉編④
萩で予定していた松陰神社、明倫学舎を観光した後は、「まぁーるバス」を使って萩バスターミナルに移動しました。 バスセンター近くには札場跡があります。ここは、萩往還の起終点となった場所でした。 バスセンターには待合室がありますが、キオスク類の施設は残念ながらありません。 タクシー乗り場があるの... 続きをみる
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週末の土曜日は天気が良かったので、おそらくこの日が東京での桜の見納めと考えて王子にある飛鳥山公園に行ってきました。 飛鳥山公園は徳川吉宗が享保の改革の一環として、庶民が花見ができるところとして整備・造成を行った公園として知られています。 また、都電荒川線(さくらトラム)とのフォトスポットとし... 続きをみる
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先日、久しぶりに国会図書館に行ってきました。3年ぶりに行ったので、行き方を忘れてしまい、1ブロック隔てた東京メトロ丸の内線・国会議事堂前で降りてしまいました。本来の最寄り駅は永田町になります(ただし、有楽町線以外の路線では永田町駅の有楽町線ホ―ムを経由してかなり歩かないといけないため、雨の日以外... 続きをみる
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松陰神社の次に明倫館に向かいました。 明倫館は1719年(享保4年)に5代藩主毛利吉元が毛利家家臣の子弟の教育のために開いた藩校です。当時は堀内にありましたが、1849年(嘉永2年)に現在地に拡大移転しました。約5万㎡の敷地内に学舎は武芸修練場、練兵場などがあり、吉田松陰らが教鞭をとりました。... 続きをみる
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松陰神社に到着しました。松陰神社は吉田松陰の実家である杉家の邸内に実兄の杉民治が1890年(明治23年)に土蔵造りの小さな祠を建てたのが創建とされています。1907年(明治40年)に松下村塾出身の伊藤博文と野村靖が中心となり神社創建を請願し、萩城内にあった鎮守の宮崎八幡の拝殿を移築して土蔵造りの... 続きをみる
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長州の旅2日目は湯田温泉からJRバスで萩に向かいます。 湯田温泉通(国道204号線)にあるバス停が東萩行きの始発になっています。 バスは定刻少し前に来ました。 やまぐちセントラルパスが使えます。運賃は1800円強しますので、3500円のパスはここで威力を発揮します。 JR西日本の「やまぐち... 続きをみる
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深大寺・神代植物公園には京王線府中駅からのバスを利用しましたが、帰路は吉祥寺経由で帰宅しました。ただし、吉祥寺駅南口に行く路線バスは、歩行者で混雑する狭い通りを経由する、都内でも有数の危険な路線です。100メートル進むのに数分かかることも想定されます。 この日は、吉祥寺通り沿いにある御殿山から... 続きをみる
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深大寺でお花見というより団子を楽しんだあと、隣接する神代植物公園で本格的な桜のお花見をしてきました。ちなみに、神代植物公園は昔、深大寺の寺領だった地です。その後、東京の街路樹を育てるための苗圃となりましたが、1940年から神代緑地として開発が進み、1961年(昭和36年)に東京都立神代植物公園と... 続きをみる
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週末の30日(日曜日)、天気が良かったのでお花見に行ってきました。長州の旅シリーズの途中ですが、一旦中断して先週末のお花見の報告をします。 最初に行ったのは調布にある深大寺です。深大寺は日本三大だるま市である「深大寺だるま市」や、名湧水を利用した「深大寺そば」で有名ですが、参道に桜も捨てがたい... 続きをみる
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湯田温泉に着いたのは、前日日没直前でしたので、翌日朝に温泉街を散歩してみました。 湯田温泉の開湯は約600年前とされています。 千人は入れるという広い浴槽「千人湯」があるユウベホテル松政はすぐ脇に無料で開放している足湯があります。 朝の早い時間はやっていませんでした。 手湯もありますが ... 続きをみる