周防国の国府が置かれた防府市:長州の旅・防府編①
長州の旅では、山口宇部空港から新山口に出て、山陽線に乗り継いで防府に向かいました。
長州藩は、山口県東部の周防国と山口県西部の長門国を範囲としています。このうち、周防国の範囲は防府市、下松市、岩国市、光市、柳井氏、周南市、大島郡、玖何郡、熊毛群および山口市のほとんどと宇部市の一部に相当します。
防府は周防国の国府があり、国庁などの施設群(国衙)がありました。また、国分寺や総社もありました。
国衙の跡地は築地跡があり、碑文が建っています。
また、清少納言は国司(周防守)として赴任してきた父・清原元輔についてこの地に住んでいわれ、「清少納言ゆかりの地」とされています。
国衙跡には四方の隅にも碑が建っております。西北の隅にある碑は、総社である佐波神社の前にあります。
律令国制度では国司が赴任する前に、その国中の神社に参詣するしきたりがありましたが、容易ではないために、総社を参詣すれば全ての神社を参拝したことになる制度ができました。佐波神社は惣社金切社と呼ばれ、式外社(延喜式神名帳に記載がない神社)でしたが、を1907年(明治40年)に村社の勝間神社、日吉神社、八幡宮を合併して佐波神社に改称。1922年(大正11年)の県社に列せられました。
ちなみに、周防国一宮は防府市内にある玉祖神社(国弊中社)、二宮は山口市内にある出雲神社、三宮は同じく山口市内にある仁壁(にかへの)神社です。時間の都合で今回は行けていません。
国分寺はさらにその西側にあります。
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