山陽道と萩往還:長州の旅・防府編③
防府は江戸時代にあって、瀬戸内海と日本海とを結ぶ萩往還と山陽道が交わる交通の要衝でした。
萩往還は毛利家16代当主で長州藩2代目藩主の毛利綱広により整備され、防府市内の三田尻と長門国萩とをほぼ直線に結ぶ全長52.7㎞の街道です。三田尻は江戸時代初期に海路で参勤交代へ向かう際の出発地となり、三田尻御茶屋や三田尻御舟倉が作られました(その後参勤交代が陸路に変更されたことで衰退していきました)。
三田尻御舟倉跡(残念ながらこの日は時間の都合で行けませんでした)
(出所)たびたび防府ホームページ
(出所)萩往還観光誘致制度創設委員会ホームページ
防府市中心部では、防府天満宮の表参道を兼ねた銀座商店街を通ります。
防府天満宮の前で、一旦山陽道と合流しますが、その後別れて山口市方面に向かいます。
少し西に進むと山頭火ふるさと館があります。
種田山頭火(本名種田正一:1882-1940)は自由律俳句の代表的俳人として知れています。
防府天満宮に戻り、山陽道を東に進みます。宮司や武家屋敷街となっています。
周防国衙跡の西北隅と総社である佐波神社の前を通ります。
その先に、国分寺があります。
さらに進むと、庭園で有名な毛利邸があります。ここは次回報告します。
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