小倉城と祇園文化:長州の旅・下関北九州編③
小倉城は1569年(永禄12年)の中国地方の戦国大名だった毛利氏により築城されました。1587年(天正15年)に豊臣軍が侵攻し、家臣の森勝信が入城しましたが、勝信は豊臣秀吉により毛利姓を名乗るように命ぜられています。
その後、関ケ原の戦いで徳川方についた細川忠興が豊前国(現在の福岡県東部、大分県北部)に加増転封となり、1602年(慶長7年)から7年かけて天守閣を改築しました。
1632年(寛永9年)に細川氏が肥後国熊本藩に転封になると、譜代大名の小笠原忠真が入城し、幕末まで小笠原氏の居城となりました。
小倉城天守閣は1837年(天保7年)に失火のため焼失し、残る城郭も1866年(慶応2年)に長州藩の攻撃を受けた小倉藩が自ら火を放ち焼却してしまいました。現在の天守閣は1959年(昭和35年)に天守閣が再建されたものです。
現在、小倉城跡地は勝山公園として整備されており、天守閣、小倉城庭園、八坂神社などがあり、隣接地には北九州市役所があります。
(出所)小倉城ホームぺージ
大手先門と北九州市役所
しろテラスではお土産物を販売しています。
小倉城のゆるきゃら「とらっちゃ」です。
八坂神社は1617年(元和3年)に小倉藩総鎮守として北の丸に建てられた祇園社を前身としています。その翌年、細川忠興により京都の祇園祭を取り入れた小倉祇園が始められました。その後、明治に入ると神仏分離令が出されたことを受け、1871年(明治4年)に八坂神社へと改められました。
お百度詣り用の「百度石」
この続きは4月19日の投稿を予定しています。
参考になったら、「プロフィール」のバナーをクリックお願いします。過去の記事リストがあります。シリーズ通してご覧いただければ嬉しいです。













