長岡藩の米百俵の故事を訪ねて
先日、新潟県の長岡に行ってきました。長岡というと明治維新期の「米百俵の故事」で有名です。
これは、幕末から明治初期にかけて活躍した長岡藩の藩士小林虎三郎による故事で、「ラストサムライ」河井継之助が率いた戊辰戦争(北越戦争)で破れた困窮していた長岡藩に対して支藩の三根山藩から百俵の米が贈られた際に、「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」とし、米を売却し、国漢学校節理るの費用としたとされるものです。2001年の小泉政権の発足に際して所信表明演説で言及された「米百俵の精神」は、同年の流行語大賞に選ばれました。
新幹線長岡駅のコンコースにある「ラストサムライ」河井継之助のパネル。
国漢学校の跡地に建つ「米百俵プレイスミライエ長岡」。
内部は図書館「互尊文庫」のほか、
米百俵の故事に関する展示をしています。
産業振興のための交流施設や、中高生の居場所づくりを目的とした施設などがあります。
東館も現在工事中で、2026年度開業予定です。市の産業振興部門や商工会議所などが入居予定です。
長岡城は消失してしまい、跡地には現在、小さな稲荷社と碑が残るだけです。
国漢学校は当初、長岡駅の東側にある昌福寺の本堂を借りて開校しました。戊辰戦争当時は負傷者を手当する軍病院として使用されていました。現在、昌福寺の門前には「長岡国漢学校発祥之地」の碑が建っています。
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