かつて全国シェア8割を誇った行田の地場産業「行田足袋」:たびの街のたび③
行田の地場産業といえば、かつて全国シェアの8割を誇った足袋です。
行田の足袋産業は江戸時代中期に形成されたとされています。行田は、忍城の城下町の中で町民の町でした(福岡と博多のような関係ですね)。1949年に「忍市」として市制を施行しましたが、「行田足袋」が全国ブランドとして高い知名度を誇っていたことから、市制施行と同時に市名を「行田市」に変更しています。
行田が足袋の生産地として発展したのは、①夏季に高温になる気象条件が綿花や藍の栽培に適していたこと、②中山道の交通の要衝であったことから一定の需要が見込まれていたためで、農家や下級武家の内職として足袋が製造されるようになったと考えられています。
江戸時代には足袋蔵が多数建てられ、足袋蔵とともに行田足袋とその関連資料は、「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」の構成要素として日本遺産に登録されています。
足袋蔵は郷土博物館に復元されています。
市内にもいくつか足袋蔵が残っていますが、戦後には日本人の洋装が進み、足袋の市場が大幅に縮小。かつての足袋店は洋服や靴などを売るお店に業態転換したり、かつての蔵をカフェなどにリニューアルするケースが大半になっています。
こちらは薬屋さんになっていました。
足袋蔵だったところの一つに、現在学生服メーカーとなっているイサミコーポレーションがあります。こちらはTVドラマ「陸王」で足袋メーカー「こはぜや」の本社兼工場のロケ地になりました。
次回は、行田の旅を締めとして「陸王」のロケ地巡りの報告をします。
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