会津若松城:会津バスツアーに参加してきました⑧
昼食の後は、会津若松城です。地元では「鶴ヶ城」とも呼ばれてますが、同名の城が全国にあるため、ここでは「若松城」とします。また、旧名の「黒川城」もしくは、「会津城」と呼ばれることもあります。
築城は室町時代(南北朝時代)の1344年で、蘆名氏7代当主の蘆名直盛によるものとされています。
若松城は、本丸の四方を輪のように二の丸が囲み、さらにその外を三の丸がぐるりと囲む輪郭式と呼ばれる平山城です。明治維新後の1874年(明治7年)に廃城となりましたが、2011年(平成23年)に天守閣が復元されています。
若松城は戊辰戦争(会津戦争)を経て、明治維新後の1874年(明治7年)に廃城となりましたが、2011年(平成23年)に天守閣が復元されています。
蘆名氏による藩政後は、伊達政宗、蒲生氏郷、上杉景勝、加藤嘉明・明成、保科正之(その後会津松平氏に改名)らが代々城主を務めてきました。なかでも、伊達政宗、上杉景勝の統治はそれぞれ1年、2年と短いものでした。
最大の勢力を誇ったのは上杉景勝の時代で、豊臣秀吉が東北の大名たちへの牽制役を上杉景勝に委ねたことや、米どころの庄内地方も知行地となったことから、石高は120万石と全国3位の規模となっていました。
また、幕末の藩主・松平容保は京都守護職を拝命し、新撰組を配下に置いていたことで歴史に名を残しました。
江戸時代には様々な名産物が生まれています。
天守の最上階からは磐梯山、飯盛山(白虎隊自決の地)が見えます。
天守閣の南側の黒鉄門に出ます。
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