大森貝塚の二つの発見記念碑の謎
かつて、大森地区の海岸線は現在のJR線沿いにありました。この象徴がこの地で明治初期に発見された大森貝塚です(大森に限らず、付近でも多くの貝塚が発見されています)。
大森貝塚は1877年(明治10年)に横浜に上陸したアメリカ人動物学者のエドワード・S・モース博士が新橋に向かう途中、大森駅を過ぎてからすぐの崖に貝殻が積みあがっているのを列車の窓から偶然発見し、政府の許可を得て発掘調査を行ったことが発見のきっかけとされています。
私も小学校の時の修学旅行で、付近を列車が通過した際に、線路沿いに「大森貝塚の碑」を見かけたことを約50年たった今でも鮮明に記憶しています。
石碑は大森駅近くのNTTデータ大森山王ビル横の小道を線路側に入った場所に立っています。
道路沿いの入り口にも石碑が立っています。モース博士と共同研究を行った佐々木忠次郎博士の書となっています。
こちらは線路沿いの石碑です。
実は、大森貝塚の跡地とされる場所はもう一か所あります。300メートルほど北側の区境を超えた品川区大井6丁目にある大森貝塚遺跡庭園です。こちらは、「貝塚」と新字体で横書きになっています。
縄文時代のイメージ図。
良い子はこんなことしてはダメですよ。
品川区はモース博士の出身地のポートランド市と姉妹都市になっています。
2か所に碑があるのは、大森貝塚の場所をめぐり、品川区と大田区の2つの説があったことに起因しています。モース博士の論文に発掘場所の詳細が記載されていなかったことや、貝塚発見の報告文書に所在地が「大森村」と記載されていたことが関係しています。2つの石碑はほぼ同時期に作られており(品川区側は1929年、大田区側が1930年)、当時の両区の対抗心がうかがわれます。
しかし、その後当時の品川大井6丁目の土地所有者に調査の補償金が支払われたという文書が発見されたことや、大井6丁目の再発掘で貝層が確認された一方で、大田区側では発見されなかったことから、現在では品川区説が有力になっているようです。
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