あちこち旅日記

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赤穂義士が眠る泉岳寺:もうすぐ旧暦12月14日討ち入りの日(後編)

百代の過客

 泉岳寺は都営地下鉄浅草線と京浜急行の乗り継ぎ駅で、都内から羽田空港に行く方は、利用された方が多いのではないでしょうか。一方で、泉岳寺は赤穂義士四十七士の菩提寺としても知られています。


 中門


 泉岳寺の敷地内には中高一貫教育の高輪学園があります。しかし、現在は仏教色はないようです。しかし、境内には学寮があり、駒込の吉祥寺、愛宕の青松寺の学寮と統合し、駒澤大学に発展しており、現在でも僧侶たちは学寮で共同生活を行いながら共同生活を送っています。


 泉岳寺は、青松寺(港区愛宕)、総泉寺(板橋区小豆沢)とともに曹洞宗江戸三箇寺に一つに位置付けられています。創建は1612年(慶長17年)で、1641年(寛永18年)の大火で焼失してしまいましたが、浅野(赤穂)、毛利(長府)、朽木(鹿沼)、丹羽(常陸古渡)、水谷(常陸下館)の五大名の普請により高輪の地に再建されました。この五大名は泉岳寺を菩提寺とすることで徳川家への忠誠を示してきました。


 このため、浅野家および大石家の墓所のほか、切腹処分になった赤穂義士の墓所もあります。


 大石内蔵助の像


 山門


 本堂(開山堂)。東京大空襲で焼失してしまいましたが、1953年(昭和28年)に再建されたものです。


 義士墓入口の門


 首洗い井戸。吉良上野介の首をこの井戸で洗い、主君の墓前に供えたそうです。


 講堂


 そんな泉岳寺ですが、江戸時代の墓地管理はひどいものがあったようです。討ち入りの後の住職・酬山が義士の遺品を売りさばいていたり、墓所を放置したために、草木が生い茂り、墓参者はほどんどいなかった模様です。歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」がヒットし、参拝客が来るようになると金銭を徴収するようになり、評判を落としたそうです。

 さらに、江戸城で刀傷を受けた細川家との関係が悪化したことで、同家から寄進された鐘を撤去してしまいます。その後、その鐘は海外に流出して、現在はウィーンの国立民族博物館に所蔵されています。


 現在の鐘は大正時代に造られたものです。


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