川越街道の宿場町③下練馬:江戸時代にはこの地域では富士講が盛んだった
今回は川越街道三番目の宿場町「下練馬宿」で、現在の練馬区北町に当たります。東武東上線「上板橋」駅と「東武練馬」の間で、線路のすぐ南側に位置するエリアです。
東武練馬については、以前投稿しています。
今の「北一商店街」や「きたまち商店街」に連なるエリアがかつての川越街道で、江戸時代に流行した富士講の拠点として築かれた「下練馬の富士塚(浅間神社)」など歴史を感じられるスポットが点在しています。
東から順に下宿、中宿、上宿が連なります。下宿は、環状8号線上にある大山道道標より東側に当たります。
大山道道標。大山道とは江戸時代に相模国の大山阿夫利神社に参拝した街道のことです。
環状8号線は地下を通っていて、その上はつつじが綺麗な公園になっています。
本陣を務めた木下家、島野家が務めた「問屋場」はこの付近にあったようですが、表示がなく見つけられませんでした。
中宿の途中までは「北一商店街」ですが、
中宿の途中から上宿にかけては「きたまち商店街」になります。
下練馬の富士塚のある浅間神社です。練馬区内では、中里の富士塚、江古田の富士塚、氷川神社富士塚とここの合計4ヶ所の富士塚があり、富士講(富士山とその神霊への信仰を行うための講社)が盛んな地域でした。
江古田に富士塚については以前記事を投稿しています。
途中、脇道に昭和レトロな商店街があります。夜のお店が多いようで、大半はシャッターがしまっていました。
上宿には天和2年(1682)銘の北町聖観音座像(約2.7メートル)のある北町聖観音堂があります。
しばらく進むと東武練馬駅の入口に当たります。付近には下練馬献上大根碑があります。五代将軍徳川綱吉が将軍になる前、脚気にかかった際に大根が脚気に効くことを知り、百姓金兵衛に大根を作らせその大根を食べたところ脚気が治ったそうです。将軍になった綱吉は金兵衛に大根を献上させ大名に振舞ったことから、練馬大根がたちまち日本中に知れ渡りました。
次回は白子宿です。5月6日の投稿を予定しています。
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