川越街道の宿場町⑤膝折宿:室町時代の名馬・鬼鹿毛伝説に由来する宿場町
今回は川越街道五番目の宿場町「膝折宿」で、現在の埼玉県朝霞市にあった宿場町です。東武東上線「朝霞」駅が最寄り駅となります。膝折の名は、室町時代の武将・小栗助重が敗走し、鬼鹿毛という名の馬に乗って当地まで逃れてきたところ、鬼鹿毛がこの地で力尽き、膝を折って死んだことに由来するとされています。
鬼鹿毛という馬の逸話は、次の大和田宿にもあり、若干異なるものとなっています。
白子宿から川越街道旧道(県道109号線)を進み、朝霞市に入り幸町3丁目の交差点をすぎると、下り坂に差し掛かります。緩やかな坂を下ると国道254線と合流しますが、旧道は県道109号線からここで別れて右の細い道になり、住宅街を進みます。
県道109号線は緩やかな下り坂ですが、旧道は急な下り坂になります。この坂はかせぎ坂と呼ばれています。昔は江戸に向かう際のこの急な登り坂で車の後ろを押す人たちがいて、その人たちに賃金を払っていたため名前がついたといわれています。
このかせぎ坂を下ると、再び県道109号線と合流し、次の宿場 膝折宿に入ります。しばらく進み、右に少し入ったところに一乗院があります。ここは真言宗智山派の寺院で、渡来人の高麗氏の開基と伝えられています。
一乗院の敷地内には、朝霞第一小学校の前身である膝折学校がありました。
一乗院の前には、花で飾られた雰囲気のよいカフェがあります。ひなびた宿場町とのコントラストは意外に風情を感じます。
川越街道旧道に戻り、進むと脇本陣であった「村田屋」が残っています(現在は高麗家の居宅になっています)。
本陣はその斜め対面にある牛山家でしたが、現在では膝折郵便局がその跡地に立っています。なお、牛山家は建て替えられており、郵便局の隣地にあります。
この付近は、古民家がまだいくつか残っています。
この付近の旧川越街道(県道109号線)の様子。
次回は大和田宿の報告です。5月13日の投稿を予定しています。
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