川越街道の宿場町⑥大和田宿:ここにも鬼鹿毛伝説が残る
川越街道の旅の今回は第六の宿場町・大和田宿の報告です。最寄り駅は武蔵野線新座駅になります。
膝折宿をでて進むと、新座市に入ります。新座市でJR武蔵野線よりも東側は野火止(のびとめ)地区と呼ばれています。江戸時代、幕府老中でもあった川越藩主松平信綱が多摩川の水を羽村から武蔵野台地を通す玉川上水を開削しましたが、その後、玉川上水から領内の野火止への分水が許され、野火止用水ができました。野火止の地名はこれに由来しています。
野火止は、平林寺の門前町でもありました。江戸時代後期の天保年間に作成された「江戸名所図会」では野火止を膝折宿と大和田宿の間の宿場としています。
野火止には横町の六地蔵があります。これは1732年(享保17年)に造られたされる地蔵像で、袈裟をまとう僧侶が、錫杖や宝珠、香炉等を持って合掌しています。他に、1714年(正徳4年)に造られた地蔵菩薩の立像や、1736年(宝暦6年)に銘の刻まれた庚申塔があります。
六地蔵像
地蔵菩薩
庚申塔
しばらく進むと「金鳳山平林禅寺」とかかれた寺号石標があります。ここが平林寺の大門に当たります。ここを左折し、南下すると平林寺に通じます。街道から大きく外れてしまうので、平林寺はまた別の機会に紹介したいと思います。
この近辺の街道筋には、広々とした庭のある古民家が多く残っています。おそらく、昔は豪農だったと思われます。
また、立派な竹藪もあちこちに残っています。
観光農園もあります。ぶどう狩りにはちょっと季節外れでしたが・・・。
このまま街道を進み、武蔵野線を越えると、大和田宿に入ります。大和田宿には本陣・脇本陣が設けられておらず、見どころとしては、神明神社、鬼鹿毛の馬頭観音がその歴史を残すのみです。
大和田宿の東端にある新明神社境内には、石工銘の刻まれた鳥居や、常夜燈、力石など、多くの石造物が置かれています。昭和の始めには、境内の横を流れていた野火止用水で水車を回し、旱魃の際には雨乞いの行事が行われていました。
馬頭観音は1696年(元禄9年)に建立された新座市内最古・最大の石造観音です。名馬・鬼鹿毛を奉っているとのことです。
ただし、膝折宿の記事の中でも鬼鹿毛伝説を紹介しましたが、ここでの伝説は人物や馬の名前は同じでも時代も中身も少し異なっています。「秩父の小栗という者が江戸の急用に向かう際に愛馬の鬼鹿毛に乗っていたところ、道の途中の大和田にあった松の大木の根につまづいて倒れてしまった。しかし、鬼鹿毛はすぐに立ち寄って小栗を江戸まで届けた。その後、所用を終えた小栗が鬼鹿毛の元に戻ると姿が無かったので、歩いて帰っていると、大和田に鬼鹿毛の亡骸があったという。この後に村人が、主人のために亡霊になってまで走り続けた鬼鹿毛の霊を弔って、この馬頭観音を建てた」と伝えられています。
次回は大井宿になります。5月21日の投稿を予定しています。
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