あちこち旅日記

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圧巻の「知恵伊豆」の菩提寺・平林寺:川越街道の旅番外編(続編)

 今回は、川越街道の旅番外編の2回目として、大和田宿で紹介できなかった平林寺です。



 境内林は、武蔵野の面影を残す雑木林として、1968年(昭和43年)に国の天然記念物に指定されています。


 平林寺は臨済宗妙心寺派の寺院であり、山号は「金鳳山」です。南北朝時代の1375年(永和元年)に武蔵国騎西郡渋江郷金重村(現在のさいたま市岩槻区)で創建されてました。創建の地には「平林寺」という地名が今でも残っています。当初は臨済宗建長寺派でしたが、その後大徳寺派を経て妙心寺派になった経緯があります。


 この地に移転したのは1663年(寛文3年)で、 川越藩主だった「知恵伊豆」こと老中松平伊豆守信綱の遺志を受けて、子の輝綱が菩提寺としたためです。


 禅寺としての修行の場としての風格を維持しており、総門横にはこのような敷居の高そうな心得書きがあります。


 総門(埼玉県指定有形文化財)
 茅葺造りで、1648年(正保5年)に京都詩仙堂の石川丈山によって揮毫された『金鳳山』の山号額を掲げています。


 相田みつをを連想させます。この字体はどちらかがパクったのでしょうか。

 総門を入って進んだ先に山門があります。


山門(埼玉県指定有形文化財)
 1664年(寛文4年)建立で木造・茅葺造り。正面には京都詩仙堂石川丈山の揮毫による『凌霄閣』の扁額を掲げられています。


 仏殿(埼玉県指定有形文化財)
 山門と同じく岩槻から移築されたものです。檀家と修行僧以外は立ち入り禁止です。


 中門(埼玉県指定有形文化財)
茅葺きの切妻造りの四脚門。ここと奥に見える本堂は、修行領域のため、檀家と修行僧以外は立ち入り禁止です。

 片割れ地蔵
 もとは一対だった地蔵の片方を平林寺に祀ったといわれています。もう一対がどこにあるのか調べたのですが、わかりませんでした。

 放生池があり、錦鯉が優雅に泳いでいます。池の水はかつて野火止用水(平林寺堀)から通じていたそうです。中島には弁天堂があります。

 平林寺には明仁上皇陛下・美智子上皇后ご夫妻が、皇太子・皇太子妃時代の1977年(昭和52年)、天皇・皇后時代の2009年(平成21年)に2度訪問されています。その際のお言葉です。

 島原の乱戦没者供養塔
 幕府老中だった松平信綱は、自ら陣頭指揮をとり島原・天草の一揆を平定しました。この日本の歴史上最大の農民一揆は、最終的に原城に立て籠もった一揆軍が兵糧攻めで敗北し、籠城した37,000人は全滅しました。一方、江戸幕府軍も実に8,000人が死傷しており、両軍の犠牲者を弔う供養塔が建てられています。



 平林寺は、松平信綱の菩提寺であるとともに、実業家で茶人の松永安左エ門ゆかりの寺でもあります。松永安左衛門は石炭商などの事業を手掛けたのち明治末期から九州で電気事業の経営に関わり、1922年(大正11年)からは20年にわたり大手電力会社東邦電力の経営に当たりました。太平洋戦争下では一旦実業界から退きましたが、戦後の占領下で電気事業再編成審議会会長として再起。電気事業再編成を主導して九電力体制への再編を推進し、その強硬な姿勢から「電力の鬼」の異名をとりました。その後は電力中央研究所理事長に就任しています。

 松永安左エ門は平林寺第21世峰尾大休老師と親交を持ち、平林寺の向かいに別邸・睡足軒(後述)を所有していました。

 大河内松平家廟所
 奥に進むと松平信綱夫妻の墓をはじめとする、大河内松平家廟所があります。松平信綱は慶長元年(1596年)、徳川家康の家臣・大河内久綱の長男として生まれ、慶長6年(1601年)に叔父・松平右衛門大夫正綱の養子となりました。この廟所は、直系の大河内一族と、傍系の大多喜家、右京大夫家の墓所となっています。
 松平信綱夫妻の墓(埼玉県指定史跡)

 一族の墓石。170基の墓石が並ぶ様は圧巻です。

 平林寺境内林(国の天然記念物)は、東京ドーム9個分の広さがあります。

 野火止塚
 塚の由来や用途ははっきりしていませんが、火田狩猟や焼畑耕法による野火を見張ったとする説が有力のようです。

 野火止用水
 東京都立川市の玉川上水(小平監視所)から埼玉県新座市を通り新河岸川(志木市)に続く用水路で、別名を伊豆殿堀(いずどのぼり)と呼ばれています。1653年(承応2年)に、幕府老中で上水道工事を取り仕切っていた松平信綱が、多摩川の水を羽村から武蔵野台地を通す玉川上水を開削し、その後、玉川上水から領内の野火止(新座市)への分水が許され、1655年(承応4年)に家臣の安松金右衛門と小畠助左衛門に補佐を命じ、野火止用水を作らせました。
 平林寺境内にも分水が流れています。玉川上水から分水された野火止用水のうち、平林寺周辺及び境内に引かれたものは平林寺堀と呼ばれています。

 半僧坊感応殿
 大権現「半僧坊」を祀ります。半僧坊とは方広寺(浜松)を縁起とする天狗の姿に似た大権現で、山の鎮守として現生の願えをかなえると言われています。月2回の祈祷が非公開で行われているほか、毎年4月17日には半僧坊大祭が盛大に催されます。

 睡足軒(国の登録有形文化財)
 「電力の鬼」と呼ばれた松永安左ヱ門が別邸として移築した飛騨地方の古民家。裏庭には見事な竹林があります。

 アクセスは、東武東上線・朝霞台、志木、西武池袋線・東久留米、ひばりが丘などよりバスが頻発しており、便利です。
 
 (ご参考)境内マップ

(出所)平林寺HP


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