東海道宿場巡り⑧:保土ヶ谷宿(前編)
今回の東海道宿場巡りは、江戸から4番目の宿場・保土ヶ谷です。
保土ヶ谷宿の西の入口(上方見附)は、外川神社前の一里塚跡近くにあったとみられています。
外川神社:江戸時代から保土ヶ谷宿の内に出羽三山講があり、幕末の頃、その講元で先達でもあった淸宮輿一が、湯殿・月山・羽黒の三山の霊場を参拝した際に、羽黒山麓の外川仙人大権現の分霊を勧請し、自分の屋敷内(現在の地)に祀ったとされています。旧社格は諸社。
一里塚跡と上方見附跡の碑文は一緒になっています。
近くには松並木の復元が行われています。
街道歩きをしていると思われる方とすれ違いました。
茶屋本陣跡:正式な本陣に匹敵する規模と格式を持つ茶屋は、「茶屋本陣」と呼ばれていました。本陣を利用しない大名が休息したほか、参勤交代の大名の出迎えもしていたとされています。
脇本陣は3軒ありました。
旅籠(本金子屋)跡。宿場の旅籠は1800年(寛政12年)には37軒でしたが、1842年(天保13年)には69軒ありました。
現在の建物は再建されたものですが、それでも明治2年築と古く、風格を感じます。
本陣跡。明治3年の宿駅制度廃止まで続いていました。
左に曲がります。
東海道線を越えます。横須賀線、湘南新宿ラインも並走しているので、交通量多く「開かずの踏切状態」になっています。
金沢横丁道標
道標は4基あります。いずれも江戸時代に建立されてものです。
問屋場跡。助郷、高札場も付近にあったとみられ、3つまとめた碑が建てられています。
旧東海道は現在は商店街になっています。
JR保土ヶ谷駅を通過します。
駅前に案内図が出ています。
次回は、保土ヶ谷宿の東半分を後編として報告します。5月11日の投稿を予定しています。
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