あちこち旅日記

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東海道宿場巡り⑫:品川宿(南品川編)

 東海道宿場巡り(江戸下り)はついに最後の宿場(江戸から数えて1番目の宿場)品川まで来ました。品川宿は江戸4宿の一つでもあります。残りの板橋宿、内藤新宿、千住宿については以前紹介しているので、以下リンクをクリックいただき、記事をご参照ください。


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 品川宿は目黒川を境に、それより北が北品川宿、南が南品川宿と呼ばれていました。今回は南品川宿を紹介します。


 南の端は現在の京浜急行青物横丁駅近辺だったとされていますが、京見附跡を示す史跡は残念ながら残っていません。

 細い路地を抜けると東海道につきあたります。

 ここから今回の東海道歩き旅をスタートします。

 ここを進むとすぐにあるのが、曹洞宗海雲寺。1251年(建長3年)に始まると伝えられています。墓地には、幕末の福井藩主松平春嶽、土佐藩主山内豊信、それに岩倉具視などの墓があります。

 幕府御用宿・釜屋のあった跡地(現在はマンション)。釜屋は立場茶屋(宿場間で旅人がお茶や食事をして休息する場所)でしたが、本来の休息所から旅籠に発展し、幕末には本陣のような構えに改造し幕府御用宿となりました。1867年(慶応3年)に新撰組副長の土方歳三らが訪れた記録が残っており、翌年には鳥羽伏見戦から江戸に戻った新選組隊士たちがしばらく滞在したと伝わります。

 保土ヶ谷宿の街道松。品川宿には東海道の各宿場のあった街より松が贈られています。以後、順を追って紹介していきます。

 真言宗品川寺。寺伝によると、弘法大師空海を開山とし、大同年間(806 – 810年)に創建されました。1457年(長禄元年)に江戸城を築いた太田道灌により伽藍が建立され、その後戦乱により荒廃しましたが、1652年(承応元年)に弘尊上人により再興され、現在の寺号となりました。


 このまま北上します。

 弘安年間(1278年~1288年)に天妙国寺(後述)の開祖天目によって創建されたとされる諏訪神社。元々は海岸部に位置していましたが、永享年間(1429年~1441年)に現在地に移転しました。

 1778年(安永8年)創業の松岡畳店。大正初期に建てられた現在の店は浜風を避けるため中2階になっており、かつては職人さんが寝泊まりしていました。

 1285年(弘安8年)、日蓮の弟子・天目が創建したという天妙国寺、1590年(天正18年)、徳川家康が江戸入府の前日に天妙国寺を宿所としたと伝えられます。

 品川宿では、街並みの保全に力を入れています。小学校まで、周囲と調和がとれた建物になっています。

 大正時代に建てられた水道工事会社富田屋工業所の建物。大正・昭和期の浮世絵師、日本画家の伊東深水氏(女優の朝丘雪路さんの父)がこちらの2階をアトリエ代りにしばしば利用し、品川芸者を写生していたそうです。

 江戸時代の海岸線であったことを示す石積護岸。

 三島宿の街道松

 浜松宿の街道松

 旧品川警察署品川橋交通待機所を活用した南品川櫻河岸まちなか観光案内所。こうした観光案内所が東海道沿いの何か所かにあり、ボランティアさんに観光相談に乗っていただけます。なお、この建物は1929年(昭和4年)築の国登録有形文化財となっています。

 目黒川にかかる品川橋。ここを渡ると北品川宿に入ります。

 次回は品川宿後編(北品川宿編)です。6月9日の投稿を予定しています。



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