あちこち旅日記

乗り物好きの旅行日記。コスパのよい贅沢な旅がモットー。飛行機、鉄道の搭乗乗車体験記やグルメ情報をご紹介します。

水郷三都巡り記③:小江戸佐原の古い町並み

 香取神宮を参拝した後は、再び周遊バスで佐原駅方面に向かいます。

 ただし、駅まではいかず、香取街道が小野川にかかる「忠敬橋(ちゅうけいばし)」で途中下車します。こちらの方が、古商家が多く残る小江戸佐原の風情を楽しむのに便利です。こちらは北西側。

 こちらは南東側。

 この角にある中村屋商店は、明治7年頃より代々荒物・雑貨・畳を商ってきました。店舗は1855年(安政2年)。土蔵は1892年(明治25年)以降の建築とされています。 

 中村屋商店の前の道を川沿いに進むと

 伊能忠敬旧宅があります。

 伊能忠敬は1745年(延享2年)に上総国山辺郡小関村(現・千葉県山武郡九十九里町小関)の名主・小関五郎左衛門家で生まれましたが、ここ佐原で代々酒造業を営んできた伊能家に跡取りがいなかったことかた、17歳の時に婿入りします。そして50歳で隠居するまで店舗を兼ねていたこの家で暮らしました。


 1795年(寛政7年)、50歳の忠敬は隠居した後江戸へ行き、深川黒江町に家を構えました。そこで、忠敬は19歳年下の高橋至時の弟子入りし、暦学と天文学を学びます。忠敬は寝る間を惜しみ天体観測や測量の勉強をしていたと伝えられています。その後、忠敬は55歳の時に蝦夷地の測量を実施したのを皮切りに、全国を徒歩で測量していきます。忠敬は1818年(文政元年)に死去しますが、弟子たちの手により1821年(文政4年)、『大日本沿海輿地全図』と名づけられた地図が完成。その精密さは、今日まで称えられています。

 伊能家の家訓が碑になっています。

 この旧宅前からは、小野川めぐりの舟に乗ることができます。

 この小野川沿いには、江戸時代から明治時代にかけて建てられた歴史的建造物が多く残り、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。


 江戸時代中期の寛政年間(1789~1801)に佐原の町の中心部である現在地に移り住んだと伝えられる旧油惣(あぶらそう)商店。江戸時代には酒業や奈良漬けの製造を行い、明治になってからは、東京へ運ばれる米・砂糖・下り酒を扱う問屋を営んできました。店舗と土蔵は県指定有形文化財(建造物)に指定されています。店舗は1900年(明治33年)の大火の後に再建されたものですが、土蔵は1798年(寛政10年)に建築されたことが判明しています。

 江戸時代より醤油の醸造をしていた老舗・正上。創業は1800年(寛政12年)で、現在は10代目です。戦後は佃煮の製造販売が主になっており、店舗は1832年(天保3年)、土蔵は1868年(明治元年)の建築です。

 戦後は佃煮の製造販売が主になっており、「いかだ焼本舗」の名前で営業しています。

 こちらの建物は、フレンチレストラン「夢時庵」として営業しています。

 

 1901年(明治34年)建築の木の下旅館。佐原最古の旅館ですが、現在は旅館として営業しておらず、とんかつ屋さんとなっています。

 その代わり、古商家をリノベ―ションして活用しているNipponia Hotelが小野川沿いに数軒あります。前術の中村屋商店もその一つです。プロデュースはバリューマネジメント社が担っていますが、運営は地元企業が主体となっています。フロントは町中の1軒に集中させ、各建物には設けないビジネスモデを採用するなどで効率化しています(以前は不可でしたが、規制緩和で可能になりました)。観光による地域おこしと歴史的建造物の保存を両立する手法はなかなか好感を持てます。

 駅に向かう途中に、うなぎのかば焼きのとてもいい香が・・。お店の入口をみると「やっぱり」でした。「鰻屋は煙の香りで客を呼ぶ」というのは本当でした。

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