水郷三都巡り記⑤:神社とサッカーと剣豪の町・鹿嶋
潮来のあやめまつりの後は、最後の訪問地である鹿嶋市に向かいます。鹿島線に再び乗り、鹿島神宮駅を目指します。
鹿島神宮、鹿島線、鹿島アントラーズと、「島」の字を使いながら、「嶋」を使い鹿嶋市としているのは、1995年(平成7年)に旧鹿島郡鹿島町が同郡大野村を編入して市制を施行した際に、合併後の市名をそのまま「鹿島市」とすることを希望したものの、既に佐賀県に鹿島市が存在したためでした。そこで「延喜式神名帳」における表記だった「鹿嶋神宮」にちなみ異体字の「嶋」を用いて「鹿嶋」を自治体名としました。
ホームに電車が入ってきました。鹿島神宮駅までわずか2区間です。
利根川にかかる橋の上に鹿島神宮の一の鳥居が見えます。
終点の鹿島神宮駅に着きました。実は、鹿島線の終着駅は鹿島神宮駅でなく、鹿島サッカースタジアム駅が正式です。鹿島サッカースタジアム駅は鹿島臨海鉄道の大洗鹿島線の終着駅でもあり、鹿島線と接続していますが、試合のある日にしか列車は停車しません。鹿島神宮駅が鹿島線の事実上の終着駅であり、大洗鹿島線の始発駅にもなっているという複雑な存在でもあります。この日は、試合はありませんでしたが、鹿島神宮発水戸方面行きの車両が接続のために待っていました。
この車両には乗らずに、駅前に降り立つと
赤レンガ敷きの鹿島神宮への道が正面に見えてきました。この駅を利用する参拝者はさほど多くなく、土曜日の午後の時間は静かに過ぎていました。
すると「塚原卜伝生誕の地」の看板が見えてきました。
近くには、塚原卜伝の銅像が立っています。
塚原卜伝は戦国時代の剣豪で、鹿島神宮の神官の家系に生まれました。その後、実父の剣友であった塚原安幹の養子となり、塚原姓を名乗りました。実父からは鹿島古流を、義父からは天真正伝香取神道流をそれぞれ学び、やがて武者修行の旅に出て、己の剣術に磨きをかけました。室町幕府の将軍にもなった足利義輝(第13代)や足利義昭(第15代)、伊勢国司北畠具教、武田家家臣で軍師だった山本勘助などに指南したと伝わっています。「幾度も真剣勝負に臨みつつ一度も刀傷を受けなかった」などの伝説により後世に剣聖と謳われてきました。
近くには、鹿島アントラーズの「栄光の碑」があります。サッカーどころとしては、静岡県の清水、埼玉県の浦和もありますが、小さな町でビッククラブが存在しているのは鹿島アントラーズのすごさです。
FIFAクラブワールドカップ2016では準優勝となり、レアルマドリードとの決勝は延長戦までもつれる大健闘でした。翌年フランスに行った時、私が日本人とわかると「オー、カシマ・アントラーズ」とよく声をかけられましたが、本場のサッカーファンにも評価されていたのを感じました。
ここを左折した通りが、鹿島神宮の表参道にあたる「大町通り」になります。
『塚原卜伝』は2011年にNHKBSで時代劇として制作・放送されました(主演は堺雅人さん)が、ロケは鹿島神宮で行われました。大町通りも、ドラマにちなんだ足跡が多く残っています。
参道には古いお店やユニークなお店が軒を連ねます。
汽車が料理を運ぶレストランは子供が喜びそうです(指で隠れてしまい申し訳ございません)。
そのまま進むと大鳥居が見えてきます。
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