あちこち旅日記

乗り物好きの旅行日記。コスパのよい贅沢な旅がモットー。飛行機、鉄道の搭乗乗車体験記やグルメ情報をご紹介します。

水郷三都巡り記(最終回):圧巻で不思議な鹿島神宮奥参道

 鹿島神宮の大鳥居に到着しました。常陸国一之宮、旧社格が最高位の「官幣大社」だけのことあって、格式高い立派な構えです。第二回目で報告した千葉県香取市の香取神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社となっています。

https://alrakantravel.muragon.com/entry/721.html



境内図

(出所)鹿島神宮ホームページ


 楼門は工事中でした。

 楼門をくぐると、6月30日の大祓式に向け設置された茅の輪がありました。参拝の際には、無病息災・延命長寿の祈りとともに「左・右・左回りと3回くぐりぬけ」するとよいそうです。

 たくさんのお神酒が供えられています。

 絵馬がかかっていましたが、

 アントラーズの選手・関係者による巨大な絵馬もあります。改めて、町挙げて応援しているのが伝わってきます。下にかかっている絵馬も、スポーツ関連の願掛けが多いです。

 拝殿

 拝殿の後ろにある本殿

 この奥にある奥参道と樹叢が壮観でした。

 こんもりと樹木が生い茂る奥参道がずっと続きます。この樹叢は茨城県指定の天然記念物で、杉のほかシイ・タブ・モミの巨樹が生い茂り、その種類は600種以上にも及びます。

 NHKドラマの塚原卜伝のロケもここで行われていました。

 鹿園。30数頭の鹿たちが同じ方向を向いて座っているのが不思議です。

 「君が代」に出てくる「さざれ石」。地質学的には堆積岩に属する「石灰質角礫岩」だそうです。

 奥宮:1605年(慶長10年)に徳川家康が関ヶ原戦勝の御礼に現在の本殿の位置に本宮として奉納したものを、その14年後に新たな社殿を建てるにあたりこの位置に遷してきたものです

 要石:地中深くまで埋まる要石が、地震を起こす鯰の頭を抑えていると古くから伝えられています。水戸の徳川光圀公がどこまで深く埋まっているか確かめようと7日7晩にわたって掘らせたものの、いつまで経っても辿り着くことができなかったばかりか、怪我人が続出したために掘ることを諦めた、という話が黄門仁徳録に記されています。

 「この松の実生(みばえ)せし代や神の秋」という松尾芭蕉『鹿島紀行』中の句が刻まれています。

 1日に40万リットル以上の湧水があり、水底が一面見渡せるほど澄みわたった御手洗池です。昔は参拝する前にここで禊をしました。「池の深さ大人、小人によらず乳をすぎず」との不思議な言い伝えがあります。

 鹿島神宮を参拝した後、鹿島神宮駅まで戻って、高速バスで東京に戻りました。当初予定していたのは、孤独のグルメSeason1に登場した都内豊島区のせきざわ食堂が鹿島市内に移転して営業していると聞いたので、当初の予定では店舗を訪ねて、五郎さんがオーダーしたしょうが焼目玉丼をいただくことでした。



 しかし、ランチの時間が遅く、満腹状態に近かったので、寄らずに帰ることにしました。放送当時の店主の息子さんがお店を次いで、キッチンSALAという店名で営業されています。



 バスは座席も広々として快適でした。鉄道とほとんど料金が変わらず、10~20分間隔で東京駅との間を2時間~2.5時間で結んでいます。目的地が鹿島ならば、鉄道よりもバス利用の方が便利です。ちなみに、鹿島神宮駅が始発/終着ですが(一部は鹿島サッカースタジアムが始発/終点)、途中に鹿島神宮を経由するのでわざわざ戻る必要はありませんでした。このほか、鹿島製鉄所、出張者やアントラーズサポーターご用達の鹿島セントラルホテルにも寄るので便利です。


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