あちこち旅日記

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東海道宿場巡り⑯:東海道9番目の宿場・小田原宿

 これまでの東海道宿場巡りの報告は江戸・日本橋から数えて8番目の宿場大磯から、最初の宿場品川まで上り、その後は52番目の草津、53番目の大津まで途中を飛ばしていました。東海道はあまりにも距離が長く、一度に順に旅するのは難しいため、小田原以西は今後行く機会があるたびにランダムに報告することにします。


 ちなみにご参考までに過去のバックナンバーのリンクをつけておきます。


東海道宿場巡り①:大磯宿(上) - あちこち旅日記

東海道宿場巡り③:平塚宿(上) - あちこち旅日記
東海道宿場巡り④:平塚宿(下) - あちこち旅日記
東海道宿場巡り⑤:藤沢宿(前編) - あちこち旅日記
東海道宿場巡り⑥:藤沢宿(後編) - あちこち旅日記
東海道宿場巡り⑦:戸塚宿 - あちこち旅日記
東海道宿場巡り⑧:保土ヶ谷宿(前編) - あちこち旅日記
東海道宿場巡り⑨:保土ヶ谷宿(後編) - あちこち旅日記
東海道宿場巡り⑩:開国の歴史を残す神奈川宿 - あちこち旅日記
東海道宿場巡り⑪:往時の賑わいを感じる川崎宿 - あちこち旅日記
東海道宿場巡り⑫:品川宿(南品川編) - あちこち旅日記
東海道宿場巡り⑬:品川宿(北品川編) - あちこち旅日記
東海道宿場巡り⑭:52番目の宿場町・草津宿 - あちこち旅日記
東海道宿場巡り⑮:53番目の宿場町・大津宿 - あちこち旅日記


 今回は9番目の宿場・小田原宿です。小田原は難攻不落といわれた小田原城を中心に、戦国時代に巨大な城下町を形成していました。天下太平となった江戸時代に入ると、東海道最大の難所・箱根をひかえた宿場町として栄えました。旅籠の数が95軒、本陣脇本陣がそれぞれ4軒ずつあり、東海道でも最大級の宿場町の一つでした。
 
 広重の「東海道五十三次・小田原宿」の絵は酒匂川の左岸(東側)から描いたものであり、現在でも変わらぬ姿を見せてくれています。

 酒匂川を渡りしばらくすると、江戸見附跡があります。

 新宿(しんしゅく)町をすぎると、旧街道は交通量の多い現在の国道一号線と別れ、趣のある通りとなります。このあたりには老舗が多くみられます。

 小田原の総鎮守・松原神社。創建の時期は不明ですが、後北条氏が社領を寄進するなどして崇敬したとされています。江戸時代の藩主であった稲葉氏、大久保氏からも崇敬され、小田原宿の総鎮守とされました。旧社格制度では県社とされていました。

 吉兆の大亀像。戦国時代、松原神社の池に奉納された大きな亀を吉兆であるとして、小田原北条氏3代目当主北条氏康が参詣し、舞を奉納したところ、その翌年、日本三大夜戦の一つ「河越の夜戦」で関東管領軍を大逆転の末に破りました。この戦いは北条氏が関八州に大きく勢力を伸ばすきっかけとなりました。この故事から、吉兆の大亀として松原神社で祀られています。

 ちなみに松原神社の池です。

 かまぼこ通り。この付近にはかまぼこの老舗が多く軒を連ねています。

 小田原なりわい館。1932年(昭和7年)に建設された旧網問屋をリノベーションしたもので、小田原の典型的な商家の造りである「出桁(だしげた)造り」という建築方法が用いられています。また、2階正面は出格子窓になっており、昔の旅籠の雰囲気を醸し出しています。市民や観光客の「憩いの場」として、あるいは市民活動の発表の場として利用されています。

 この付近が宿場の中心部で、本陣、脇本陣がありました。

 お城のようなういろう本店。

 ういろうの起源については以前投稿していますので、こちらをご参照ください。


「ういろう」の起源をたどる:小田原、それとも名古屋、山口? - あちこち旅日記


 小西薬房。江戸時代初期より東海道に面する現在地(旧中宿町)にあり、薬種商を営んできた老舗です。関東大震災で倒壊した旧店舗の材料を一部用いて1925年(大正14年)頃に完成したと伝わっています。

 このまま西に進むと、JR東海道線の高架橋と交差しますが、江戸時代にはこの付近に上方見附(板橋見附)がありました。今でも「板橋見附」はバス停に名前を残しています。


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