西武園線と日本の喜劇王:西武鉄道ローカル線の旅③
「東村山市」、「多摩湖」というと思い出すのが同市出身で「日本の喜劇王」と称された故志村けんさんの「東村山音頭」です。「ひがしむらやーま、庭先や多摩湖」のメロディーが多摩湖と東村山市を有名にしたと言っても過言ではないでしょう。
「東村山音頭」は、旧東村山町の市制施行を記念して、1963年(昭和38年)に同町が制定・発表したものです。その際にレコードが発売されていますが、有名にしたのは。志村さんが同曲をアレンジカバーした「志村けんの全員集合 東村山音頭」でした。以下、ユーチューバーさんによる編集動画のリンクをつけました。
こちらが正調のようです。
東村山音頭
多摩湖からのローカル線旅の続きですが、多摩湖駅からの多摩湖線もありますが新宿線乗り入れによりすっかり幹線化してしまっていることもあり、5分ほど歩いていける西武園駅から東村山までの西武園線を利用しました。
西武園線は2.4kmの短い路線で途中駅はありません。(旧)西武鉄道が1915年に免許を取得した東村山駅 - 箱根ケ崎駅間の通称「箱根ヶ崎線」を母体としています。(旧)西武鉄道(旧)は、箱根ヶ崎線がちょうど貯水池の近くを通る予定であることを利用して1929年に計画の微調整を行い、貯水池そばまでの1駅間のみの建設に着手。1930年に東村山駅 - 村山貯水池前駅間が村山線の一部として開業しました(この直後の1931年、母体である箱根ヶ崎線はたびたびの延長に業を煮やした鉄道省によって免許取消処分になっています)。
ちなみに、現在の西武鉄道の母体となった武蔵野鉄道と(旧)西武鉄道の歴史は以前投稿していますので、ご参照ください。
西武池袋線はかつて武蔵野鉄道だった:武蔵野鉄道カラーの記念トレイン運行中 - あちこち旅日記
第二次世界大戦が激化すると次第に観光客の客足も遠のく中、政府から不要不急線に指定されて1944年5月に運行が休止され、路線ごと撤去されましたが、戦後1948年に復活しています。西武鉄道が貯水池周辺の広大な土地を手に入れ、「東村山文化園」と称した総合娯楽施設の建設を計画したことに起因しています。
その後、「東村山文化園」内へ村山競輪場(現在の西武園競輪場)が開設されることになり、競輪場のそばへ向かう支線を敷設、西武園駅を開業させましたが、1951年に村山貯水池駅は西武園駅に統合され廃止。路線名も村山線から西武園線に変更され、現在に至ります。
多摩湖駅からの途中、西武園遊園地のプールの入口があります。
競輪開催日以外はひっそりしています。
電車は単線運行ですが、休日日中でも10分おきくらいに頻発しています。
3分くらいで終点東村山に到着します。東口ロータリーにある3本のけやきは、東村山市を有名にした志村さんの功績をたたえ、1976年(昭和51年)に植樹された「志村けんの木」と呼ばれています。
すぐそばに志村さんの銅像が建っています。「バカ殿」大好きでした。
志村けんさんは2020年3月29日に新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなっています。おりしも、新型コロナ感染者が急拡大していますが、この日マスクをしている方はめっきり少なくなっていました。変異種の感染力はさらに強くなり、免疫も機能しなくなっているようです。この像を見て、志村さんの死を無駄にして欲しくはないとの思いを強くしました。
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