武田信玄の菩提寺・恵林寺(山梨県甲州市)
塩山で一番の名所といえば、武田家の菩提寺である恵林寺です。ここは大学生の時にゼミ旅行で来たことがありますが、もう薄れてしまった記憶を頼りに、およそ40年ぶりに再訪しました。
恵林寺は臨済宗妙心寺派に属し、開山は鎌倉時代の1330年(元徳2年)と伝えられています。応仁の乱で荒廃してしまいますが、武田氏により復興され、寺領の寄進を受けるなど庇護を受けてきました。
1582年(天正10年)に、織田・徳川連合軍の武田領侵攻(甲州征伐)により武田氏は滅亡すると、織田氏は恵林寺に逃げ込んだ近江の反織田勢力であった六角義定の引渡しを要請しましたが、寺側が拒否したため恵林寺は焼き討ちにあっています。
本能寺の変により信長が討たれると、甲斐・信濃の武田遺領を巡る天正壬午の乱を経て三河国の徳川家康が甲斐を領することになり、武田遺臣を庇護した家康は恵林寺も再建しています。
塩山駅南口から恵林寺までは山梨交通のバスが出ていますが、本数が少なく、事前の調査が必要です。ゼミ旅行では行きはタクシーに分乗しましたが、帰りはどうしたのでしょうか(もう記憶が飛んでしまっています)。
恵林寺につきました。
恵林寺の南の入口に建つ総門(通称:黒門)。総門をくぐるとまっすぐな参道が続きます。
参道を進むと見えてくるのが四脚門(通称:赤門)。徳川家康の再建と伝えられるもので、国の重要文化財。 恵林寺の山号である「乾徳山」の額を門の上に掲げています。
三門。織田信長の焼き討ちで壮絶な火定を遂げた快川和尚の遺偈が掲げられています。
開山堂。三門をくぐって正面に見えます。夢窓疎石(むそうそせき)、快川紹喜(かいせんしょうき)、末宗瑞曷(まっしゅうずいかつ)の三像が堂内に安置されています。この裏手が本堂になります。
仏舎利宝塔
武田不動尊は武田信玄が対面で自らの姿を模刻させたとされる等身大の不動明王像です。武田信玄の墓所は毎月命日である12日に一般人公開されています。
鐘楼
宝物館
庫裏へは開山堂の右手から入ります。
武田信玄家訓
庫裏への入口はこちら
庫裏の鬼瓦
庫裏は日本有数の規模を誇ります。信長による焼き討ちの後、徳川家康によって再建された壮大な伽藍は、1905年(明治38年)の火災によってそのほとんどを焼失してしまい、現在の本堂、庫裏も、明治末期に再建されたもので、戦中には東京の学童疎開の場となり小学生約150人が寄宿生活を送ったと言われています。
国の名勝指定を受けている庭園。京都嵯峨野の天龍寺、嵐山の西芳寺(苔寺)庭園とともに、夢窓国師の代表的な築庭庭園として有名です。
土産物屋さんや休憩・お食事処も充実しています。
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