東海道宿場巡り⑱:東海道12番目の宿場・沼津宿
今回は前回報告した三島宿の隣、江戸から数えて12番目の沼津宿です。
この2つの宿場、隣接していて今日ではヒトやモノの交流が多く、同一経済圏のように機能しているように見えますが、江戸時代までは「三島=伊豆」「沼津=駿河」と別国でした。
『扶桑略記』によれば、680年(天武天皇9年)に駿河国から2郡(田方郡と賀茂郡か)を分割して伊豆国としたとの記録があります。その後、伊豆国が成立後に一旦駿河国に併合されたという『国造本紀』の記述もあり、両国は分割と併合を繰り返していました。
静岡産業大学の丹羽先生によると、静岡県の各地域の人柄を表す言葉(かなり汚い表現ではありますが・・)に「駿河乞食・遠州泥棒・伊豆の飢え死に」というものがあるそうです。これは飢饉などが起きたとき、駿河の人はお上に頼って物乞いをし、遠州(遠江)の人は泥棒をしてでも自分の力で食べ物を手に入れる。そして伊豆の人はのんびりし過ぎているのかそのまま餓死してしまう──というたとえだそうです。なかなか興味深い話です。
さて、沼津宿ですが、1843年時点で家数1234軒(本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠55軒)人口5346人との記録がありますが、都市化が進むなかで三島宿と比べて歴史的資産が埋没してしまっているような印象です。
宿場の東端(江戸見附)は二ツ谷バス停付近だったようですが、今では小さな祠があるだけです。左が旧街道、右が県道380号線になります。
国道沿いには沼津日枝神社があります。1096年(永長元年)に創建された歴史と風格のある神社で、旧社格は県社です。
市内中心部にある中央公園。武田勝頼が築城した三枚橋城が廃城となった後、1777年(安永6年)に沼津藩主とはった水野忠成により三枚橋城の跡地に沼津城が築城されました。本丸跡は現在中央公園になっています。
この中央公園を迂回するように狩野川沿いを旧道が通っています。「川廓通り」と呼ばれています。
この付近より少し南に行ったところに3軒の本陣があったようです。右にあるリバーサイドホテルの駐車場入口やホテル前の歩道に三枚橋城の外堀石垣が残っています。
この付近より少し南に行ったところに3軒の本陣があったようです。県道160号線をしばらく行くと宿場の西端になります。
広重の「東海道五十三次沼津宿」は、宿場を出たところにある「千本松原」が描かれています。
(ご参考)過去の東海道宿場巡りの記事です。
東海道宿場巡り①:大磯宿(上) - あちこち旅日記
東海道宿場巡り②:大磯宿(下) - あちこち旅日記
東海道宿場巡り③:平塚宿(上) - あちこち旅日記
東海道宿場巡り④:平塚宿(下) - あちこち旅日記
東海道宿場巡り⑤:藤沢宿(前編) - あちこち旅日記
東海道宿場巡り⑥:藤沢宿(後編) - あちこち旅日記
東海道宿場巡り⑦:戸塚宿 - あちこち旅日記
東海道宿場巡り⑧:保土ヶ谷宿(前編) - あちこち旅日記
東海道宿場巡り⑨:保土ヶ谷宿(後編) - あちこち旅日記
東海道宿場巡り⑩:開国の歴史を残す神奈川宿 - あちこち旅日記
東海道宿場巡り⑪:往時の賑わいを感じる川崎宿 - あちこち旅日記
東海道宿場巡り⑫:品川宿(南品川編) - あちこち旅日記
東海道宿場巡り⑬:品川宿(北品川編) - あちこち旅日記
東海道宿場巡り⑭:52番目の宿場町・草津宿 - あちこち旅日記
東海道宿場巡り⑮:53番目の宿場町・大津宿 - あちこち旅日記
東海道宿場巡り⑯:東海道9番目の宿場・小田原宿 - あちこち旅日記
東海道宿場巡り⑰:東海道11番目の宿場・三島宿 - あちこち旅日記
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