あちこち旅日記

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鎌倉殿ゆかりの地・三嶋大社

 桜川を下っていくと旧東海道につきあたりますが、そこに伊豆国一宮の三嶋神社の大鳥居があります。

 三嶋大社は伊豆国一宮であると同時に伊豆国総社でした。また、旧社格は官幣大社で格式の高い神社です。


 創建は不詳ですが、1300年頃に編纂された『吾妻鏡』治承4年(1180年)で三嶋社(三嶋大社)に関する言及があり、その頃には既に存在していたとみられます。

 『吾妻鏡』では、源頼朝が挙兵直前に安達盛長に対して三嶋社への奉幣を命じ、その後伊豆北条氏と組んで目代の山木兼隆を討ち取ったと記されています。また、頼朝は同年に平家軍との戦のため西に向かう際にも三嶋神を拝んだとされています。三嶋社は源頼朝から篤く崇敬され、頼朝が開いた鎌倉幕府も、三嶋社を鶴岡八幡宮や二所権現(伊豆山神社・箱根神社)と並んで信仰してきました。また、頼朝以後も鎌倉幕府将軍は代々三嶋社に参詣してきました。


 この時代、鎌倉幕府の将軍・御家人は東海道を従来の足柄越ではなく箱根越を利用したため、三嶋社には数多くの旅人が参詣しました。このため、東海道の紀行文には必ず三嶋社のことが記されるようになりました。


 戦国時代においても、当地を治めた後北条氏の保護を受け、後北条氏からは造営の支援も行われました。


三嶋大社全体図

(出所)三嶋大社ホームページ


たたり石:たたり(絡垜)は本来糸のもつれを防ぐ具であり整理を意味する語でしたが、後に往来頻繁になりこれを取り除こうとする度に災いがあったと言われ祟りに置き換えて考えられる様になったと言われています。約2900年前の富士山噴火により運ばれたと石とされています。

 安達盛長警護の碑

神池:1185年(元暦2年)に源頼朝が放生会を行ったとされています。

 総門

芸能殿:旧総門で、1930年(昭和5年)の伊豆大震災後現在の総門が落成したため一時他に移したものの、戦後再建され一部改造の上芸能殿として保存されています。例祭の神賑行事や年間を通じ様々な奉納芸能が行われています。

 神門

 樹齢1200年と推定される金木犀。国天然記念物に指定定されています。

 舞殿:年間を通じ様々な神事、奉納行事が執り行われています。

 拝殿

 本殿

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