柴又といったらやっぱり帝釈天:柴又を散歩してきました③
今回は柴又の街のシンボルでもある帝釈天についてです。
柴又帝釈天の正式名称は経栄山題経寺であり、日蓮宗のお寺です。帝釈天とは本来の意味では仏教の守護神である天部の一つで、バラモン教・ヒンドゥー教・ゾロアスター教の武神(天帝)でヒッタイト条文にも見られるインドラと同一の神様です。しかし、柴又では、題経寺の略称として用られています。
題経寺の創建は江戸時代初期の1629年(寛永6年)と伝えられています。中興の祖とされているのが9世住職の亨貞院日敬という僧であり、彼は一時行方不明になっていた「帝釈天の板本尊」を再発見した人物であるとされています。日敬の時代に、本堂の修理を行ったところ、棟木の上から発見され、発見されたのが1779年(安永8年)の庚申の日であったことから、60日に一度の庚申の日が縁日となった経緯があります。
それから4年ほど経った1783年(天明3年)に日敬は自ら板本尊を背負って江戸の町を歩き、天明の大飢饉に苦しむ人々に拝ませたところ、不思議な効験があったため、柴又帝釈天への信仰が広まっていったそうです。これを機に柴又帝釈天が著名になり、門前町が形成されていったとされています。近隣にある川魚料理の老舗もおおむねこの頃に創業されているそうです。
1896年(明治29年)に建立された二天門。
天門を入った境内正面に位置する帝釈堂。手前の拝殿と奥の内殿から構成されています。
帝釈堂の手前に生えている「瑞龍のマツ」。頭を空に向け、尾を西に伸ばして天に昇る「龍」のように見えます。
この続きは10月14日の投稿を予定しています。
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