老朽化はかえって味わいを出している広島城天守:広島に行ってきました⑫
広島の観光地の中で、意外に穴場なのが広島城です。
広島城は1589年(天正17年)~1590年(同18年)に毛利輝元が太田川河口のデルタ地帯に築いた平城で、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)に米軍の原子爆弾投下によって倒壊するまで天守を始めとする城郭建築が現存していました。大坂城や岡山城などと共に初期近世城郭の代表的なものとされ、名古屋城、岡山城と共に日本三大平城に数えられ、日本100名城の一つに選定されています。
現在見られる城内の天守以下城郭建築はすべて1958年以降に再建されたものです。江戸時代初頭に入城した福島正則の増築以降に、城域となった外堀までの約90万平方メートルの範囲のうち、内堀を含む本丸跡と二の丸跡、三の丸跡の一部が残っています。
復元された二の丸の櫓の内部は公開されています。
本丸の整備・復元も進められています。
中御門跡には原爆の痕跡が残ります。
護国神社。創建は1868年(明治元年)ですが、第二次世界大戦までの広島県西部(旧安芸国)出身の戦死者のほか、広島市への原子爆弾投下によって犠牲になった勤労奉仕中の動員学徒および女子挺身隊等など含め約9万2千柱が祭神になっています。広島護国神社などの指定護国神社は、旧社格制度では府県社と同格とされていました。
1894年(明治27年)に勃発した日清戦争の戦争指揮のために設置された大本営である。大本営跡。。国の立法・行政・軍事の最高機関が一時的とはいえ広島市に集積したことで、広島市は臨時の首都の機能を担いましたが、これは明治維新以降、首都機能が東京から離れた唯一の事例とされています。
外観復元された大天守。1951年(昭和26年)、広島国体にあわせて木造仮設天守が作られ、市制70周年に当たる1958年(昭和33年)に竣工しました。2006年には、日本100名城(73番)に選定されましたが、再建天守の老朽化が進んだため、現状からの耐震改修の他、木造再建も検討されているようです。しかし、老朽化もまた歴史を感じさせるので、再建がいいのかよくわかりません。
近くに法務総合庁舎があります。「中国公安調査局」とありますが、ついここにも中国当局の秘密警察があるのかと思ってしまいます。
また、この日は寄れませんでしたが、日本の歴史公園100選にも選ばれている国の名勝「縮景園」があります。
この続きは11月3日の投稿を予定しています。
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