足尾銅山跡地を見学してきました:北関東鉄道の旅⑥
足尾駅周辺の古河機械鉱業の社宅・迎賓館を見た後は、本日のメイン「足尾銅山」に向かいます。
足尾銅山は1550年(天文2年)に発見されたといわれ、1610年(慶長15年)には地元の2人の百姓が鉱床を発見し、江戸幕府直轄の鉱山として本格的に採掘が開始されました。幕府は足尾に幕府は鋳銭座を設け、銅山は繁栄しました。
明治に入ると、古河鉱業(現在の古河機械金属)が所有し、銅のほかに亜砒酸(三酸化二砒素)を産出し、精錬の副産物として硫酸も生産していました。現在では「足尾銅山跡」として国の史跡に指定されています。
足尾銅山は足尾駅より一つ手前の通洞駅近くにあります。わ鉄の本数は少ないのですが、日光市営バスが1~2時間に1本くらいのペースで運行されており、足尾駅と銅山まで直接つながっていけるので便利です。また、足尾駅と通洞駅との間は0.9㎞しかないので、歩いても十分行ける距離です。天気も少し良くなってきたので、この日は渡良瀬川渓谷を眺めながらぶらぶら歩いて行ってみました。
足尾銅山跡地は、現在では「足尾銅山観光」という名前で観光施設になっています。
トロッコに乗り出発します。
坑道の前で一旦停止し、けん引していた機関車を切り離します。
機関車を切り離したら再度出発し、坑道に入ります。
途中で降ろされて歩きます。
坑道の総延長は1200㎞以上あり、東京~博多間の直線距離にほぼ匹敵します。
江戸時代から時代に沿った展示が行われています。
硫酸銅などの銅化合物は有毒性の強い物質であり、飲んだりするのは危険です。明治時代には日本初の公害事件とされる足尾鉱毒事件が起きています。荒廃した山地を水源とする渡良瀬川は洪水を頻発し、精錬による廃棄物を流し、足尾山地を流れ下った流域の平地に流れ込み、水質・土壌汚染をもたらしました。1891年(明治24年)に田中正造による国会での追及が当時大きな問題となりました。
外に出ると、江戸時代の鋳銭座(銅銭の鋳造所)を再現した展示施設があります。
銅銭の鋳造過程が順を追って見れます。
出口に向かいます。
上に上がるとレストハウスがあります。ここで遅めのランチをいただくことにしました。バラエティ番組に登場した有名店?があり、ここに寄るのを楽しみにしていました。次回はここの食レポになります。
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