日本三大湖城の一つ・高島城:信州リベンジ旅上諏訪編④
諏訪大社上社本宮のあとは前宮にも行きたかったのですが、公共交通の便がなく、徒歩片道40分、往復で1時間20分かかるので断念し、高島城に寄ってからホテルにチェックインすることにしました。
高島城は、諏訪郡の領主であった諏訪氏により中世に茶臼山に築城された城を起源としています。その後、高島城は武田氏による諏訪郡支配の拠点となりましたが、1582年(天文18年)に武田氏が滅亡した後、諏訪氏再興や何度の領主転封を経て日根野 高吉が1590年に領主となり、諏訪湖に突き出した水城が築城されました。当初は、「諏訪の浮城」と呼ばれる水城でしたが、江戸時代の初めに諏訪湖の干拓が行われ、水城の面影は失われたました。しかし、こうした経緯から高島城は日本三大湖城のひとつに数えられています。
総石垣造で8棟の櫓、6棟の門、3重の天守などが建て並べられています。当時は軟弱な地盤であったため、木材を筏状に組み、その上に石を積むなどの当時の最先端技術が用いられたそうです。
日根野氏は7年間という短期間で高島城を築城したため、かなり無理をしたようです。地元では「過酷な労役に苦しんだ」「石材を確保するため、諏訪市内に当時あった金子城の石材を全て持ち出したうえ、墓石、石仏も用いられた」などの伝承が残っています。
高島城は1871年(明治4年)の廃藩置県でこの地が高島県となった際には、県庁舎として利用されましたが、1875年(明治8年)に天守閣など大部分の建造物は破却もしくは移築され、石垣のみになってしまいました。現在は二の丸、三の丸が宅地となっていますが、1970年(昭和45年)には本丸に天守・櫓・門・塀が復元され、高島公園として整備されています。
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