幕末・維新時代の故事が残る長岡:雪の新潟鉄道旅②
長岡駅につきました。2023年の一日平均乗降人数は10,633人、新幹線は4,158人と、新潟駅(それぞれ33,188人、8,908人)と比べて随分少ないですが、駅はなかなか立派です。
戊辰戦争の一部である北越戦争で長岡藩側を主導したことで知られる河井継之助は、「最後のサムライ」としてヒーローになっています。
しかし、北越戦争で敗れた長岡藩は7万4000石から2万4000石に減知され、財政が窮乏し、藩士たちはその日の食にも苦慮する状態になってしまいます。このため窮状を見かねた長岡藩の支藩三根山藩から百俵の米が贈られることとなりましたが、藩士小林虎三郎は贈られた米を藩士に分け与えず、売却の上で学校設立の費用(学校設備の費用とも)としました、この故事は「米百俵」として有名になり、現在の辛抱が将来の利益となることを象徴する物語として引用されるようになりました。
駅構内には、観光案内所のほか、
ぽんしゅ館があります。とても充実した品そろえです。
長岡からも近い越後国出雲崎(現・新潟県三島郡出雲崎町)出身の良寛和尚。「子供の純真な心こそが誠の仏の心」との考えから子供たちとよく遊んだことで知られています。
長岡はまた8月上旬に行われる花火大会で有名です。駅構内も花火をデザインしたデコレーションが行われています。
この日は用事があるため、観光している時間がありません。外は雪が吹雪いていますが、乗り継ぎまでの時間を使って意を決してランチを食べに外に出てみました。
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