あちこち旅日記

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鎌倉幕府と薩長のつながり:江ノ島・鎌倉日帰り旅⑤

 鶴岡八幡宮の次は、鎌倉幕府の跡地から鎌倉宮方面に行ってみました。実は、元鎌倉市民であったにもかかわらず、こちら方面に行くの初めてです。


 鶴岡八幡宮からは畠山重忠邸跡を通り、清泉小学校方面に進みます。畠山重忠は鎌倉幕府創設の功臣として活躍しましたが、頼朝の没後に実権を握った初代執権・北条時政の謀略によって謀反の疑いをかけられて一族もろとも滅ぼされてしまいました。


 このあたりには、雰囲気のいいカフェが多く、休みながら歩くのも悪くなさそうです。

 この地域はかつて大蔵郷と呼ばれ、源頼朝の邸宅がありました。1180年(治承4年)から1219年(承久元年)までの39年間(1225年までの45年間という説もあり)、鎌倉幕府将軍(鎌倉殿)の御所となっていました。

 また、現在の白旗神社には源頼朝の法華堂(当時の権力者等のために建てられた霊廟・墳墓堂)もあったと推定されています。


 江戸時代の1779年(安永8年)に薩摩藩主・島津重豪により整備が行われ、層塔が建てられています。層塔は1989年(平成元年)に塔身と第一層の蓋石を残して壊されてしましたが、その翌年に修理・再建されています。


 なお、島津氏の祖先である島津忠久は鎌倉幕府の御家人であり、頼朝の隠し子説もあります。その子孫が地頭職として薩摩へ派遣され、守護大名として根付いたとされています。


 一方、頼朝の重臣であった大江広元の子孫が長州の毛利家の先祖であったというのも、興味深い話です。

 
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