下社秋宮を出て、春宮まで中山道を江戸方面に下ります。下諏訪では、中山道は春宮大門の鳥居から秋宮付近で甲州街道と別れた後、春宮の前に出るかたちで、春宮の参道を大きく迂回するように通っています。 今回の報告は下記の地図で赤で示したところです。 中山道と甲州街道の分離・合流地点から出発します。 ... 続きをみる
宿場巡りのブログ記事
宿場巡り(ムラゴンブログ全体)-
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今回は前回報告した三島宿の隣、江戸から数えて12番目の沼津宿です。 この2つの宿場、隣接していて今日ではヒトやモノの交流が多く、同一経済圏のように機能しているように見えますが、江戸時代までは「三島=伊豆」「沼津=駿河」と別国でした。 『扶桑略記』によれば、680年(天武天皇9年)に駿河国から... 続きをみる
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今回は、東海道11番目の宿場町・三島宿の報告です。広重の浮世絵に出てくる三島宿・朝霧は前回報告した三島大社周辺を描いたものと思われます。 旧東海道は三島大社の大鳥居のすぐ南を走っています。三島宿の東の端(江戸見附)は大場川にかかる新町橋付近にあったとされています。付近は今では富士山の絶好のニュ... 続きをみる
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青梅街道宿場巡り⑫(最終回):青梅街道が甲州街道と再合流する酒折
内藤新宿で甲州街道と別れた青梅街道は、前回報告した小原宿(山梨市)を通過した後、甲府酒折で中央線の踏切をわたり、甲州街道と再び合流します。 甲州街道と合流する直前に、「甲斐の古道・歴史公園」があります。 その向かいに道祖神があります。 右の道は山手通りと呼ばれており、このまま進むと甲府の武... 続きをみる
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青梅街道宿場巡り⑪:青梅街道最後の宿場・小原宿(山梨県山梨市)
青梅街道宿場巡り第11回目は、江戸からみて最後の宿場である小原宿です。他の青梅街道の宿場と同様に、本陣や旅籠、高札場や道標などの宿場の名残を示すものはほとんど残っていません。 宿場は現在の行政区画で山梨市小原西地区にあった模様です。 最寄り駅は、中央本線東山梨駅になります。無人駅のため、情報... 続きをみる
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今回の青梅街道宿場巡りは、8番目の宿場塩山宿です。現在の行政区画は、山梨県甲州市になります。 前回報告した丹波宿からは、青梅街道は大菩薩峠を越えて行くル―トとなっていました。ちなみに、小説「大菩薩峠」は1913年~1941年に『都新聞』『毎日新聞』『読売新聞』などに連載された中里介山作の長編時... 続きをみる
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丹波山村の97%は山林で、居住地は徒歩圏内に集中しています。人口500人強の村ではありますが、過疎感はありません。近年は、移住者が増え、住宅供給が追い付かないようです。 古民家(というほど古くはなさそうですが)を改装したゲストハウス「灯の里」さんでランチをいただきました。 店内はレトロな雰囲... 続きをみる
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青梅街道宿場巡りの第8弾は、7番目の宿場丹波(たば)宿です。行政区画は県境を越え、山梨県丹波山村になります。 第7弾では奥多摩駅周辺の氷川宿を紹介しましたが、今回は奥多摩駅からバスで丹波山村に向かいます。 駅前に西東京バスのターミナルがあります。 氷川宿を出ると旧青梅街道は「奥多摩むかし道... 続きをみる
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青梅街道宿場巡りの第6回は、甲州街道からの分岐点(追分)である内藤新宿から数えて5番目の宿場町・青梅です。 青梅街道は、江戸城築城のために1606年(慶長11年)、青梅の成木村で採れる石灰を運搬する道路として整備されました。当時は成木往還と呼ばれており、「青梅街道」と固有名詞化されたのは明治時... 続きをみる
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青梅街道宿場巡り第5弾は箱根ヶ崎宿です。現在の行政区分は東京都西多摩郡瑞穂町で、最寄り駅は八高線箱根ヶ崎駅になります。 東京都にあっても郡部に来ると地方色がきわめて鮮明になります。とても東京都内とは信じられません。この日は雨天だったため、行動が大きく制約されてしまい、アクセスには都バス梅70路... 続きをみる
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青梅街道宿場巡り第四弾は小川宿です。現在の行政区画は東京都小平市になります。 以前、小平ふるさと村を紹介した際にも言及しましたが、小平市域は武蔵野台地でも水利に乏しい地域でした。1652年(承応元年)に水不足解消のため老中の松平信綱によって上水の開削が計画され、1654年に玉川上水、1655年... 続きをみる
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青梅街道宿場巡りの2回目は、田無宿です。現在の行政区分は東京都西東京市(2001年に田無市と保谷市が合併して誕生)になります。 田無の名前の起源には様々な説がありますが、文字どおりこの地域一帯が水利が悪く「田のない」ところであり、「田無」の名称が残ったと考えられているようです。ほかに、 ・生活... 続きをみる
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青梅街道の旅の初回報告は、中野宿になります。中野は江戸時代幕府直轄領(天領)であり、現在のJR中野駅近くにある中野区役所には五代将軍綱吉が建てたとされる「犬屋敷」跡の碑があります。しかし、ここは青梅街道から遠く離れており、青梅街道の地下には現在東京メトロ丸の内線が走っています。 中野駅周辺は以... 続きをみる
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これまで、川越街道、日光街道、東海道の宿場巡りをしてきましたが、今回よりシリーズ第4弾の青梅街道の宿場巡りを始めます。 青梅街道はは、東京都新宿区から東京都青梅市を経由して山梨県甲府市に至る132キロメートル の東西道路です。1606年(慶長11年)に江戸城築城のために、青梅の成木村で採れる石... 続きをみる
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これまでの東海道宿場巡りの報告は江戸・日本橋から数えて8番目の宿場大磯から、最初の宿場品川まで上り、その後は52番目の草津、53番目の大津まで途中を飛ばしていました。東海道はあまりにも距離が長く、一度に順に旅するのは難しいため、小田原以西は今後行く機会があるたびにランダムに報告することにします。... 続きをみる
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前回まで東海道の宿場巡りを小田原から品川まで報告してきました。いつかは箱根以西にぜひチャレンジしたいのですが、さすがに京都までは体が持ちません。そこでズルしてワープして52番目の宿場町である草津宿、大津宿をのぞいてきました。 最寄り駅は、東海道線草津駅になります。東口を出るとすぐに中山道に当た... 続きをみる
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前回の宿場巡りは南品川宿でしたが、今回は品川橋を渡った北品川宿編です。 橋をわたるとすぐ左に見えるのが荏原神社です。709年(和銅2年)に、大和国丹生川上神社より高龗神(水神)の勧請を受けて南品川に創建したのに始まります。その後、目黒川最下流が新たな河口まで直線化されたことで(以前は八つ山橋近... 続きをみる
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東海道宿場巡り(江戸下り)はついに最後の宿場(江戸から数えて1番目の宿場)品川まで来ました。品川宿は江戸4宿の一つでもあります。残りの板橋宿、内藤新宿、千住宿については以前紹介しているので、以下リンクをクリックいただき、記事をご参照ください。 川越街道の宿場町①板橋宿前編:中山道からの分岐点、川... 続きをみる
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今回の東海道宿場巡りは、江戸から数えて2番目の宿場町・川崎宿です。 現在では、政令指定都市になっている川崎市ですが、江戸時代にも宿場として栄え、ピーク時には72軒の旅籠があり、神奈川県下9宿の内3番目の旅籠数だったそうです(小田原宿の95軒、戸塚宿の75軒に次ぐ規模)。そのうち飯盛女を置いてい... 続きをみる
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今回の東海道宿場巡りは、江戸から数えて3番目の宿場町・神奈川宿です。 神奈川宿の西端(上方見附)は現在の横浜駅西口に近い上台橋付近くにあったとみられています。 ここを東に進むと、神奈川台の関門跡があります。横浜開港後外国人が相次いで殺傷されたことから、幕府はイギリス総領事を始め、各国の領事か... 続きをみる
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前回、保土ヶ谷宿の西半分を紹介しましたが、今回は東半分の紹介です。西側は本陣や旅籠が多く集中していましたが、東側は神社仏閣が多いという特色があります。 保土ヶ谷駅を通過すると、 道幅が広くなります。ここでは旧東海道は環状1号線と呼ばれています。 田中橋跡 真言宗遍照寺:創建年代等は不詳なが... 続きをみる
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今回の東海道宿場巡りは、江戸から4番目の宿場・保土ヶ谷です。 保土ヶ谷宿の西の入口(上方見附)は、外川神社前の一里塚跡近くにあったとみられています。 外川神社:江戸時代から保土ヶ谷宿の内に出羽三山講があり、幕末の頃、その講元で先達でもあった淸宮輿一が、湯殿・月山・羽黒の三山の霊場を参拝した際に... 続きをみる
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今回の東海道宿場巡りは、江戸から6番目の宿場・藤沢です。 宿場の西端(京見附)は、小田急江ノ島線・藤沢本町近くにあります。 旧東海道には、「藤沢宿」ののぼりが掲げられています。 藤沢本町駅のすぐ近くにある寒川比古命と源義経を主祭神として祀る白旗神社(しらはたじんじゃ)です。 現在の社殿は... 続きをみる
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平塚宿の江戸方見附を出ると藤沢宿に向かいますが、平塚駅のあたりで少し北に外れた現在の国道一号線沿いに平塚八幡宮があります。 ここは古くは「鶴峯山八幡宮」(つるみねさんはちまんぐう)と称されてきました。旧社格は県社。毎年5月5日に大磯町国府本郷の神揃山(かみそろいやま)で行われる旧相模国の伝統的... 続きをみる