青梅街道宿場巡り⑫(最終回):青梅街道が甲州街道と再合流する酒折
内藤新宿で甲州街道と別れた青梅街道は、前回報告した小原宿(山梨市)を通過した後、甲府酒折で中央線の踏切をわたり、甲州街道と再び合流します。 甲州街道と合流する直前に、「甲斐の古道・歴史公園」があります。 その向かいに道祖神があります。 右の道は山手通りと呼ばれており、このまま進むと甲府の武... 続きをみる
青梅街道のブログ記事
青梅街道(ムラゴンブログ全体)青梅街道宿場巡り⑫(最終回):青梅街道が甲州街道と再合流する酒折
内藤新宿で甲州街道と別れた青梅街道は、前回報告した小原宿(山梨市)を通過した後、甲府酒折で中央線の踏切をわたり、甲州街道と再び合流します。 甲州街道と合流する直前に、「甲斐の古道・歴史公園」があります。 その向かいに道祖神があります。 右の道は山手通りと呼ばれており、このまま進むと甲府の武... 続きをみる
青梅街道宿場巡り⑪:青梅街道最後の宿場・小原宿(山梨県山梨市)
青梅街道宿場巡り第11回目は、江戸からみて最後の宿場である小原宿です。他の青梅街道の宿場と同様に、本陣や旅籠、高札場や道標などの宿場の名残を示すものはほとんど残っていません。 宿場は現在の行政区画で山梨市小原西地区にあった模様です。 最寄り駅は、中央本線東山梨駅になります。無人駅のため、情報... 続きをみる
今回の青梅街道宿場巡りは、8番目の宿場塩山宿です。現在の行政区画は、山梨県甲州市になります。 前回報告した丹波宿からは、青梅街道は大菩薩峠を越えて行くル―トとなっていました。ちなみに、小説「大菩薩峠」は1913年~1941年に『都新聞』『毎日新聞』『読売新聞』などに連載された中里介山作の長編時... 続きをみる
丹波山村の97%は山林で、居住地は徒歩圏内に集中しています。人口500人強の村ではありますが、過疎感はありません。近年は、移住者が増え、住宅供給が追い付かないようです。 古民家(というほど古くはなさそうですが)を改装したゲストハウス「灯の里」さんでランチをいただきました。 店内はレトロな雰囲... 続きをみる
青梅街道宿場巡りの第8弾は、7番目の宿場丹波(たば)宿です。行政区画は県境を越え、山梨県丹波山村になります。 第7弾では奥多摩駅周辺の氷川宿を紹介しましたが、今回は奥多摩駅からバスで丹波山村に向かいます。 駅前に西東京バスのターミナルがあります。 氷川宿を出ると旧青梅街道は「奥多摩むかし道... 続きをみる
青梅街道宿場巡りの第6回は、甲州街道からの分岐点(追分)である内藤新宿から数えて5番目の宿場町・青梅です。 青梅街道は、江戸城築城のために1606年(慶長11年)、青梅の成木村で採れる石灰を運搬する道路として整備されました。当時は成木往還と呼ばれており、「青梅街道」と固有名詞化されたのは明治時... 続きをみる
青梅街道宿場巡り第5弾は箱根ヶ崎宿です。現在の行政区分は東京都西多摩郡瑞穂町で、最寄り駅は八高線箱根ヶ崎駅になります。 東京都にあっても郡部に来ると地方色がきわめて鮮明になります。とても東京都内とは信じられません。この日は雨天だったため、行動が大きく制約されてしまい、アクセスには都バス梅70路... 続きをみる
青梅街道宿場巡り第四弾は小川宿です。現在の行政区画は東京都小平市になります。 以前、小平ふるさと村を紹介した際にも言及しましたが、小平市域は武蔵野台地でも水利に乏しい地域でした。1652年(承応元年)に水不足解消のため老中の松平信綱によって上水の開削が計画され、1654年に玉川上水、1655年... 続きをみる
青梅街道宿場巡りの2回目は、田無宿です。現在の行政区分は東京都西東京市(2001年に田無市と保谷市が合併して誕生)になります。 田無の名前の起源には様々な説がありますが、文字どおりこの地域一帯が水利が悪く「田のない」ところであり、「田無」の名称が残ったと考えられているようです。ほかに、 ・生活... 続きをみる
青梅街道の旅の初回報告は、中野宿になります。中野は江戸時代幕府直轄領(天領)であり、現在のJR中野駅近くにある中野区役所には五代将軍綱吉が建てたとされる「犬屋敷」跡の碑があります。しかし、ここは青梅街道から遠く離れており、青梅街道の地下には現在東京メトロ丸の内線が走っています。 中野駅周辺は以... 続きをみる
これまで、川越街道、日光街道、東海道の宿場巡りをしてきましたが、今回よりシリーズ第4弾の青梅街道の宿場巡りを始めます。 青梅街道はは、東京都新宿区から東京都青梅市を経由して山梨県甲府市に至る132キロメートル の東西道路です。1606年(慶長11年)に江戸城築城のために、青梅の成木村で採れる石... 続きをみる