尾道の商店街歩き:広島に行ってきました③
千光寺山を下りた後は、駅まで商店街を歩いて帰りました。
商店街は東西に長いですが、区間ごとに名称が変わります。天寧寺下の付近は「絵のまち通り」ですが、尾道郵便局を過ぎると「センター街」に変わります。総称して「尾道本通り商店街」と呼ばれているようです。
はんこ屋さんは斜陽産業のように思われていますが、お土産用のネコはんこで生き残りを図るお店がありました。
平日の日中のため、人通りはまばらでしたが、廃れているというイメージは感じません。
銭湯を改装したレストラン。
いちごパフェの有名店「ベリー」
中商店街に入ると、尾道奉行所跡の石碑が建っています。江戸時代、尾道は広島藩領となり、藩内随一の港町「広島藩の台所」として最盛期を迎えました。
1601年(慶長6年)に福島正則による検地で尾道は町に定められ、のちに福島氏が改易され浅野氏が入封すると、浅野氏は福島氏藩政を踏襲し補強する形で藩整備を進めました。1638年(寛永15年)に浅野氏による検地で町方「尾道町」が定められました。1715年(正徳5年)には尾道に町奉行が置かれその下に商人から選出された町年寄・組頭・月行司を再編成することになり、藩権力の下ではあったが町人による町政が行われました。
大正時代に建築された商業会議所が隣接してあります。
石畳小路を曲がると海(尾道水道)が見えます。
水道沿いには、20点近くの絵のパネルが埋め込まれていて「おのみち海辺の美術館」と名付けられています。
『潮』というタイトルの像
商店街に戻ると、「芙美子通り」に名称が変わっていました。
林芙美子記念館。内庭に林芙美子の生家が保存してあります。ここは昔はカフェとして営業していましたが、既に閉店しています(40年ほど前に来たことがあります)。
林芙美子像
ここまで来ると駅まですぐです。
駅前のロータリー横に鎮座する小さな蘇和(そわ)稲荷神社。
尾道の公共事業や慈善事業、寺社に多額の寄付をし貢献した実業家で帝国議会議員でもあった山口玄洞を称える記念碑が神社に隣接して建てられています。
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