あちこち旅日記

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蔵造りカフェが連なる越谷宿:日光街道宿場巡り④

 草加宿に続く日光街道3番目の宿場は越谷宿です。元荒川右岸の越ヶ谷と左岸の大沢の二つの町を合わせた範囲が越谷宿と呼ばれ、千住宿の次ぐ規模でした。


 公共交通機関を使って越谷に行くには、東武スカイツリーラインの越谷駅もしくは北越谷駅が便利です(大沢には北越谷が近いです)。


歌川広重「富士三十六景・越谷」

 この日は、越谷駅から出発します。

 駅近くの高架下に観光案内所兼お土産物屋さん「カーヤちゃんの蔵屋敷」があります。

 お土産物の販売だけでなく、鉄道ジオラマもあります。

 旧日光街道沿いには人形店が多くあります。越谷ひな人形の起源は、今から安永年間(1772年〜81年)に、越ヶ谷新町の会田佐右衛門が製法を学び、越谷の地で製作を始めたことに由来するといわれています。その後、越谷ではひな人形づくりが盛んになり、ひな人形を扱う店が多数軒を並べるようになりました。

 1935年(昭和10年)築の横田診療所。元は郵便局だったそうでです。まだ現役で診療に使われています。

 旧日光街道沿いには、蔵造りの商家が多く残っています。


  国登録有形文化財になっている木下半助商店。江戸時代創業ですが、現在の建物は1899年(明治32年)の大火の後に建てられたものです。現在でも金物屋を営んでいます。店舗の他、土蔵、石蔵、主屋、稲荷社がそれぞれ文化財指定されています。

 江戸時代から続く呉服商「小泉家」。越ヶ谷宿で現存する、唯一店舗と蔵が横並びで残っている建物です。

 江戸時代末期創業の「鍛冶忠(かじちゅう)商店」蔵造りの建物は1900年(明治33年)に建てられたもので、現在も店舗として使用されています。元々はその名の通り鍛冶屋でしたが、現在は日用品雑貨店を営なんでいます。

 江戸時代創業の味噌醸造・販売をしていた糀屋の、大正時代の味噌蔵を改造した蔵カフェ「糀屋(こうじや)」。


 古民家複合施設「はかり屋」。フレンチレストラン、ジビエ料理、無農薬野菜の八百屋さん。リラクゼーションマッサージなどが「入っています、


 
 1928年(昭和3年)創業の鰻屋「いなり家」


 1691年(元禄 4 年)創業で300年余の歴史を誇る河内屋旅館。当時の河内国(現在の大阪府)から越ヶ谷宿に来た権兵衛という人が始めた旅籠が起源だそうです。

 旧日光街道をこのまま進むと、元荒川にかかる大沢橋があります。

 ここを渡ると大沢町になります。7月15~16日にかけては八坂神社のお祭りが開催されていました。

 八坂神社は、大沢町の鎮守である香取神社の境内神社です。

 香取神社は、室町時代後期の応永年間(1394-1427)に下総国一の宮(千葉県佐原市)香取神官の祭神・経津主大神を分霊し、香取大明神として大沢村鷺後に一村の鎮守として勧請連立されました。その後、日光街道の整備により武州大沢宿ができたのに伴い、寛永年間(1624-1644)に現在の地に遷されました。

 一方、越谷宿の鎮守は久伊豆神社でした。徳川将軍家も篤く崇敬し、二代将軍秀忠、三代将軍家光も鷹狩りに際して参拝、休憩したと伝えられています。当時は元荒川川の南側に位置していましたが、治水工事により元荒川の流路が変更されたため、現在は越ヶ谷宿の対岸となってしまいました。
 
 越谷には江戸時代初期には御殿がありましたが、明暦の大火(1657)で江戸城が消失した際に越ヶ谷御殿を江戸城二の丸に移すため解体されたと伝えられています。江戸城二の丸に移されるまでの約50年の間に、徳川家康、徳川秀忠(2代将軍)、徳川家綱(4代将軍)が度々訪れたとの記録も残されています。その跡地はその後畑として使われてきました。こちらも、当時は越谷宿にありましたが、元荒川の流路変更により現在は北側(大沢側)になっています。

(出所)越谷氏ホームページ


 大沢宿の最寄りは北越谷駅になります。


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