あちこち旅日記

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奥州街道との分岐点・宇都宮宿:日光街道宿場巡り⑱

 今回紹介するのは、日光街道17番目の宿場・宇都宮宿です。現在の行政区画は栃木県現在の栃木県宇都宮市中心街になりますが、かつては宇都宮城の城下町であり、日光街道と奥州街道の追分(分岐点)として日光街道で最も賑わった宿場町でした。


 現在の日光街道はJR宇都宮線と交差する手前までは国道4号線を進みますが、途中で国道119号線に沿って進むことになります。国道119号線は、宇都宮市内では「東京街道」と呼ばれています。旧日光街道も、宇都宮以降は概ね国道119号線と同じ道をたどることになりますが、中心部に入る直前で現在の不動前通りに入ります。


 市内中心部で再び国道119号線と合流しますが、その後左折して清住町通りに入ります。ここが日光街道と奥州街道の追分(分岐点)になります。左が日光街道、先が奥州街道です。

 左の日光街道に行ってみます。しばらく進むと右側に桂林寺があります。

 桂林寺は1396年(応永3年)に宇都宮家第12代当主宇都宮満綱によって建立された曹洞宗の寺院です。山号の「松峰山」は松が峰に由来しています。1531年に城郭拡張の藩命により、現在の地に移転しました。戊辰戦争(宇都宮城の戦い)の際、1868年(慶応4年)に旧幕府軍の会津藩が来襲し、当寺に放火して全てを焼き払ってしまいましたが、その後再建されました。

 境内には戊辰戦争(宇都宮城の戦い)で亡くなった宇都宮藩士の墓碑があり、隣接地には琴平神社があります。



 また、奥州街道を東に進むと宇都宮二荒山(ふたらさん)神社があります(正式名称は二荒山神社ですが、日光の二荒山神社との区別のために鎮座地名を冠して「宇都宮二荒山神社」と呼ばれる)。古くは宇都宮大明神などとも呼ばれ、宇都宮は当社の門前町として発展してきました。


 江戸時代の俳人・与謝蕪村の句碑があります。

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