あちこち旅日記

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天下分け目を決めた街・小山:日光街道宿場巡り⑬

  今回紹介するのは、日光街道12番目の宿場・小山です。JR宇都宮線、水戸線、両毛線の乗り継ぎ駅で、東北新幹線の駅もあります。現在の行政区画は栃木県小山市の中心部になります。

 小山が宿駅の指定されたのは1617年(元和3年)以降と考えられています。宿駅の管理は、当初は古河藩、1675年(延宝3年)に幕府、1682年(天和2年)に古河藩と変遷したのち、1685年(貞享2年)以降は再び幕府となり、1774年(安永3年)以降は宇都宮藩が担った。小山宿は「五街道追分の地」とも呼ばれ、日光街道(日光道中)、壬生通り、結城道、佐野道、栃木道が交差する交通の要所でもありました。


 小山駅前にある「おやまクラフト館」にある観光案内所で地図やパンフレット、バスの時刻表を入手できます。また、小山市内を周遊するための移動手段としてレンタサイクル「O-cycle(おーサイクル)」も提供しています(1日500円)。市内各所にステーションがあります。

 結城紬の展示もあります。

 当時の日光街道は現在の県道265号線に相当します。

 まちの駅「思季彩館」。昔ながらの商店の趣を残す商家風建屋に昔ながらの庭園もあり、街歩きの始点にもなっています。昼食や少し一息つきたいときの休憩にも利用でき、小山市でできた朝採れの新鮮な野菜の販売も行っています。

 小山宿(奥州街道・日光街道)の中心部だった所で背後には小山宿脇本陣(現在の高橋家宅)があります。1876年(明治9年)に明治天皇が奥州巡幸の際に旧脇本陣が行在所として利用されています。


 「祇園牛頭天王社」の別名がある須賀神社。社伝によれば、940年(天慶3年)に藤原秀郷が創建したとされます。

 日蓮宗妙建寺。1334年(建武元年)に日蓮宗六老僧の一人日頂の弟子松本房日念によって創建され、一度も火災に会ったことがないと伝えられています。


 将軍家の日光社参のために設けられた休憩所は、小山御殿と呼ばれています。場所は現在の小山市役所付近に相当しますが、遺構は残されておらず、跡地には碑があるだけです。『日光御社参古河日記』によれば、1622年(元和8年)に徳川秀忠が日光社参を行った際に、関ヶ原の戦いの小山評定を吉例として設けられました。1633年(寛文3年)以降は日光社参が中断され、1682年(天和2年)に古河藩の財政難のため解体されてしまいました。


 市役所前に「小山評定」の碑が立っています。小山評定は1600年(慶長5年)に開催されたものです。徳川家康が上杉景勝を討伐するために会津(福島県)に向かっていた途上、小山に本陣を置きました。その時、石田三成挙兵の報が入り、急遽家康は本陣に諸将を招集して軍議を開き、「このまま上杉を討つべきか、反転西上して石田を討つべきか」を質したものです。この軍議で東国武将の結束が強まり、関ケ原の合戦の勝利につながったと言われています。


 1148年(久安4年)に小山政光によって築かれた小山城(別名祇園城)の跡地になっている城山公園。豊臣秀吉の小田原征伐ののち、1602年(慶長12年)頃、本多正純が相模国玉縄より入封しましたが、正純は1619年(元和5年)に宇都宮へ移封となり、小山城は廃城となってしまいました。城山公園は桜の名所であり、春には思川桜やソメイヨシノが、秋には多くの伝説がある市指定天然記念物の大きなイチョウも楽しめます。また、関東の富士見百景にも選ばれています。残念ながら、この日は植生工事のために中に入ることはできませんでした。

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