あちこち旅日記

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「ういろう」の起源をたどる:小田原、それとも名古屋、山口?

 皆様は「ういろう」の起源をご存知でしょうか。


 まず、その前に2つの「ういろう」をご存知でしょうか。


 一つめは薬としての「ういろう」です。仁丹と良く似た形状・原料であり、現在では口中清涼・消臭等に使用されていますが、何にでも効くとの言い伝えもあります(こう言われるとかなりアブナイですね)。外郎薬(ういろうぐすり)、透頂香(とうちんこう)などの呼び方もあります。中国において王の被る冠にまとわりつく汗臭さを打ち消すためにこの薬が用いられたとされます。


小田原「ういろう本店」の透頂香(4袋入り6000円)


 第二は蒸し菓子としての「ういろう」です。「外郎」「外良」「ういろ」「うゐろ」「ういらう」「うゐらう」などの表記が用いられることもあり、外郎餅とも呼ばれています。


 前者については、起源について論争はないのですが、後者についてはかつて訴訟に発展しており、考察に値すると思われます。


 菓子としての「ういろう」の起源には、主に二つの通説が存在しているようです。


(1)江戸時代の百科事典『和漢三才図会』にも見られる、色(黒色)が外郎薬(透頂香)に似ていることから「外郎」と呼ばれる菓子になったという説。


(2)元王朝の瓦解で博多に亡命した陳宗敬の子、宗奇が足利義満の招請で上洛して外郎薬を献上した際に、口直しに添えた菓子に由来するという説。


 ここで(1)にしても(2)にしても、外郎薬がその起源になっていたこともあり、外郎薬がお菓子のほうが歴史が深かったことに疑問の余地はありません。


 外郎薬(透頂香)については現在製造販売を行っているのは、小田原にある「ういろう本店」のみです。そこで今回小田原にある「ういろう本店」に行ってきました。


 場所は小田原駅から少し離れた本町(東海道の宿場町の中心地)にあり、繁華街から少し離れています。小田原駅近くにもお店がありますが、こちらではお菓子しか販売されていません。透頂香を購入するには駅から離れた本店まで行く必要があります。


 お城のような漆喰の建物が目立っているのがわかりやすいです。

 専用駐車場完備。タクシーで乗り付ける方もおり、いつも賑わっています。

 
 「ういろう」は14世紀の元朝滅亡後、日本へ亡命した旧元朝の外交官(外郎の職)であった陳宗敬の名前に由来すると言われています。陳宗敬は明王朝を建国する朱元璋に敗れた陳友諒の一族とも言われ、日本の博多に亡命し日明貿易に携わっていました。室町時代には宗敬の子・宗奇が室町幕府の庇護において京都に居住し、外郎家(京都外郎家)が代々ういろうの製造販売を行うようになりました。
 戦国時代の1504年(永正元年)には、本家4代目の祖田の子とされる宇野定治(定春)を家祖として外郎家の分家(小田原外郎家)が成立し、北条早雲の招きで小田原でも、ういろうの製造販売業を営むようになりました。小田原外郎家の当主は代々、宇野藤右衛門を名乗っています。
 ちなみに、ういろう本店の隣には別館があります。「杏林亭」という名前の中華料理店でしたが、外郎家が中国人の子孫であったことの名残を示しています。ただし、残念ながら8月22日に閉店になってしまいました。


 その後、京都外郎家は現在は断絶しており、薬のういろうが製造販売されているのは小田原だけになっています。
 陳宗敬は来日時に福岡市博多区の妙楽寺に滞在していたといわれています。このため、妙楽寺境内には「ういろう伝来之地」と記された石碑が建っています。
 以上から、薬の「ういろう」伝来地は福岡、我が国における発祥地は京都とするのが妥当ではないかと思われます。
 江戸時代には去痰をはじめとして万能薬として知られるようになり、東海道・小田原宿名物として様々な書物に登場しています。『東海道中膝栗毛』では主人公の喜多八が菓子のういろうと勘違いして薬のういろうを食べてしまうシーンがあるほか、歌舞伎十八番の一つで、早口言葉にもなっている「外郎売」は、曾我五郎時致がういろう売りに身をやつして薬の効能を言い立てるものです(これが「何にでも効く」の言い伝えになったようです)。この「外郎売」は二代目市川團十郎が薬の世話になったお礼として創作したものだそうです。


 一方、お菓子の「ういろう」は小田原のほかに、名古屋、山口が有名です。こちらは、商標権が絡むだけに、ドロドロの論争になっているようです。
 名古屋ういろうの元祖は1659年(万治2年)創業の餅文総本店で、商業的に製造販売している全国最古の老舗とされています。また、青柳総本家 1879年(明治12年創業)が製造販売する「青柳ういろう」は、日本一の販売量を誇っています。名古屋ういろうが広がったのは1964年(昭和39年)に開通した東海道新幹線での車内販売がきっかけだったようです。
 山口ういろうの歴史的経緯について詳しいことは分かっていませんが、室町時代に周防山口の秋津治郎作が現在の製法を考えたとする説もあるようです。史実として確認できる最も古い例として名古屋の餅文総本店創業の5年前の1654年(1654年)に萩藩が国目付を饗応した献立の中にういろうが登場しています。
 これに対して、小田原外郎家の歴史は長いものの、お菓子のういろうを一般に販売し始めたのは明治時代に入ってからのことです。博多ういろうも、妙楽寺にちなんではいるものの、復活したのは最近になってからのようです。
 小田原外郎家は、京都を発祥地とし小田原をういろう発祥の地とは主張していませんが、本家との自負から、青柳総本家(名古屋)や梅寿軒(下関)の商標登録を特許庁が認めたことを不服として、特許庁を相手取って裁判を起こしたことがあります。しかし、判決では「ういろう」は普通名詞であるとされ、2000年(平成12年)に敗訴しています。


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