あちこち旅日記

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二宮金次郎(尊徳)が活躍した今市宿:日光街道宿場巡り㉓

 大沢宿からバスで日光街道を進むと、下今市駅近くの追分地蔵で日光例幣使街道と合流します。この付近が日光街道20番目の宿場である今市宿になります。かつては今市市でしたが、2006年に(旧)日光市や足尾町などの周辺自治体と合併し、(新)日光市の一部となっています。


 日光例幣使街道とは、江戸時代の脇街道の一つで、徳川家康の没後、東照宮に幣帛(神道の祭祀において神に奉献する神饌以外のものの総称)を奉献するための勅使(日光例幣使)が通った道です。鹿沼市からこの追分地蔵尊までは国道121号線となっており、立派な杉並木が保存されています。

 日光街道を日光方面に少し進むと、道の駅「ニコニコ本陣」があります。今市宿の本陣跡地については諸説あるようですが、この「ニコニコ本陣」が本陣跡地との説が有力のようです。

 このニコニコ本陣の裏手に、二宮金次郎(尊徳)を奉る報徳二宮神社があります。
 金次郎は、相模国小田原出身で、農村復興事業で実績を残した偉人として知られています。1822年(文政5年)に小田原藩に登用され、1842年(天保13年)には普請役格の幕臣となりました。その後、関東とその周辺の諸藩領・旗本領・幕領・日光神領の復興や個別の家・村の再建を依頼されて指導してきましたが、1853年(嘉永6年)日光神領に赴任しました。1856年(安政3年)に金次郎は当地で死去しましたが、息子の弥太郎(尊行)が日光神領の報徳仕法を継承し、日光神領の開発を進め、田畑・用水路などがつくられました。

 その二宮金次郎が死去した際に、葬儀が行われたのが隣接する如意寺です。如意寺は室町時代中期の創建とされ、境内には、木造地蔵菩薩立像(車止め地蔵)、暁誉上人の五輪塔(ともに市指定文化財)などの数多くの文化財があります。

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