あちこち旅日記

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明治・大正時代における日光の文化遺産

 これまで、日光街道の宿場巡りを報告してきました。日光の繁栄は、徳川家康の没後に東照宮に祀られ、日光街道が整備されたことによりもたらされたことはいうまでもありません。今日では、日光の社寺(日光山内にある二荒山神社、東照宮、輪王寺の103棟の「建造物群」と、これらの建造物群を取り巻く「遺跡(文化的景観)」が世界遺産登録されているほか、中禅寺湖や華厳の滝を始めとする奥日光の自然景観も人気になっています。しかし、日光の魅力はこれだけではありません。明治・大正期に建てられた建物にも多くの登録文化祭があり、日光の魅力になっています。今回は、こうした明治・大正期から昭和初期にかけての文化遺産を紹介していきたいと思います。


 1873年(明治6年)6月開業の金谷ホテルは現存する日本最古のリゾートクラシックホテルとして、国の登録有形文化財に登録され、近代化産業遺産に認定されています。

 こちらは別館です。前に泊まったことがありますが、部屋は少々カビ臭かったです。外観の雰囲気はよいのですが、宿泊されるなら新館がお勧めです。

 金谷ホテルの入口にある日光物産商会の本館も国の登録有形文化財に指定されています。この建物は明治時代後期に建設され、日光金谷ホテル(現存する日本最古のリゾートホテル)の土産品店として創業し、当初は伝統工芸の日光彫や木工品、漆器等の製造・販売・輸出を手がけてきました。

 日光物産商会は1928年(昭和3年)に日光金谷ホテルから独立するかたちで設立され、その後は土産物販売・飲食専業となりました。日光金谷ホテルのキッチンで宿泊客のために焼いていたパンが次第に評判となったため、これを外販するにあたり最初のショップを建物の一角にオープンし、金谷ホテルベーカリー神橋店として金谷ホテル伝統の味をさらに広める先がけとなりました。
1985年(昭和60年)以降には店舗を改装し、1階に「そば処神橋庵」、2階に「カフェ&レストラン匠」を設けました。その後は東武日光駅前に「金谷ホテルベーカリー東武日光駅前店カフェ・ラ・セゾン」を、また霧降高原の麓に小さなホテル「リゾートイン霧降プラザ」を開業しています。


 東武日光駅前にある金谷ホテルベーカリーです。いつも帰りに寄って買おうとするのですが、いつも売り切れてしまい買えたことがありません。


 明治初期に自由民権運動を展開し、自由党を結成した板垣退助の像が金谷ホテルの前にあります。「板垣死すとも自由は死なず」の名言で知られる板垣退助ですが、日光の歴史にも深いかかわりがあります。1868年(明治元年)、戊辰戦争の際日光廊にたてこもった幕府軍大鳥圭介らと対峙した官軍の将板垣は、二社一寺のある日光を戦火にさらすことを避けるべく、幕府軍に無血開城を迫り、みごと説得に成功しました。その遺徳を讃え昭和4年に銅像が建立されましたが、第二次大戦時の金属供出により軍需に供されてしまいました。現在の銅像は1967年(昭和42年に再建されたもので、板垣が32歳当時の官軍の服装で日光の町並みを眺めています。

 旧日光市庁舎本館。訪日外国人旅行者を対象とした旧大谷ホテルとして大正時代に建築されましたが、実際にはホテルとして営業したことはなく、寮や市役所などとして利用されてきました。登録有形文化財、近代化産業遺産、日光市指定景観重要建造物になっています。

 建物の周辺は公園として整備され、2022年(令和4年)4月に旧日光市役所記念公園の名称で開園しています。「日光のおいしい水」もブランド化すれば売れそうですね。パンが買えなかったので名水を使った「ゆば」を買って帰りました。

 かつて日光駅前から馬返まで東武鉄道運営の路面電車「日光電車」が運行されていました。1968年(昭和43年)に廃止されてしまいましたが、当時の車両が東武日光駅前に展示されています。

 帰りは、東武日光駅から特急「けごん」を利用しました。この日は残念ながら旧型スペーシアで、車内の売店および自販機とも営業停止中でした。

 7月15日に最新車両が運行開始しています。次回はぜひ乗ってみたいです。



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