あちこち旅日記

乗り物好きの旅行日記。コスパのよい贅沢な旅がモットー。飛行機、鉄道の搭乗乗車体験記やグルメ情報をご紹介します。

安倍川のほとりの老舗で安倍川もちを食べてきました

  静岡名物に「安倍川餅」があります。


 江戸時代初期、安倍川岸で、徳川家康が茶店に立ち寄ったところ、そこの店主がきな粉を安倍川上流(梅ヶ島)で取れる砂金に見立て、つき立ての餅にまぶし、「安倍川の金な粉餅」と称して献上したそうです。家康はこれを大層喜び、安倍川にちなんで安倍川餅と名付けたと言われています。


 江戸時代の日本では白砂糖は珍しく、東海道府中宿の名物となったようです。『東海道中膝栗毛』には「五文どり」(五文採とは安倍川餅の別名)として登場します。


 2020年(令和2年)には「府中宿名物安倍川餅」として、府中宿と共に文化庁の文化財保護制度「日本遺産」のストーリー『日本初「旅ブーム」を起こした弥次さん喜多さん、駿州の旅~滑稽本と浮世絵が描く東海道旅のガイドブック(道中記)~』の構成文化財の1つに認定されています。


 安倍川橋のバス停近くには、弥勒町と呼ばれるこの付近の地名と安倍川餅の起源に関する碑が置かれています。

 安倍川橋を渡ると丸子宿に入りますが、今回の目的地は橋を渡らず、手前にあります。

 現在の安倍川の様子です。

 江戸時代にはまだ安倍川に橋がなく、旅人が川を渡るには人夫を雇うのが一般的でした。1738年(天文3年)に、江戸へ出稼ぎに出ていた漁夫が紀州(現在の和歌山県)へ戻る途中、自力で安部川を渡った際に仲間と稼いだ150両もの大金を落としてしまったところ、たまたま居合わせた人夫が財布を拾い、漁夫を追いかけ、財布を届けたそうです。 このお礼を漁夫が人夫に渡そうとしても頑なに受け取らず、困った漁夫が奉行所から渡してもらうよう取り計らってもらっても、人夫が受けとらず困っていたところ、 奉行所は漁夫にお礼を戻し、人夫に報奨金を渡すということで両者の体面を立てたと言われています。なかなか粋なお奉行様でした。


  この故事にちなんだ「安倍川の義夫の碑」が近くに建っています。

 弥勒と呼ばれるこの付近には、昔ながらの製法で安倍川もちをつくっている和菓子屋さんが数軒あるそうです。今回は、その中でも創業1804年(文化元年)の老舗「石部屋(せきべや)」さんにお邪魔しました。お土産用もありますが、その場で作りたてを出していただけます。駅で売っているものとは全く異なり、作り立てはとても柔らかで、これで800円は満足プライスでした。自宅へのお土産にも2人前(1300円)をテイクアウトしましたが、やはりお店で出していただいたものが全然よかったです。

 お店も古民家風のつくりで、文化財級です。

 すぐ隣にも、創業100年級の老舗「かごや」さんがあります。ここは週1回しか営業しておらず、この日は閉まっていました。


 芸能人がかなり来ているようです。

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