あちこち旅日記

乗り物好きの旅行日記。コスパのよい贅沢な旅がモットー。飛行機、鉄道の搭乗乗車体験記やグルメ情報をご紹介します。

晩秋の上野公園を散策

 この日は、晩秋の上野公園のお散歩です。


 不忍の池から入ります。イチョウが散り始めて、黄色い絨毯になっていました。

 寛永寺弁天堂の門

 弁天堂

 大黒天堂

 めがねの碑。不忍池弁天堂が造られたのは江戸初期の寛永年間でしたが、創設した天海僧正の諡号が「慈眼大師(じげんだいし)」で、その中に「眼を慈(いつく)しむ」という2文字が使われていることから、それにあやかり東京眼鏡販売店協同組合が建てたものです。徳川家康の眼鏡とありますが実際に掛けていた現物は、重要文化財として久能山東照宮(静岡市駿河区)に保管されているそうです。

 江戸時代には東都七天神の一つとされた五條天神社。旧社格は村社ですが、江戸三大天神や江戸二十五天神に数えられることもあったそうです。

 花園稲荷神社。五條天神社の宮司さんの兼務社となっています。無格社ですが、パワースポットとして有名です。

 時の鐘。1996年6月に環境省の「残したい日本の音風景100選」に選ばれています。

 精養軒

 上野東照宮。旧社格は府社。その豪華さや由来、また近隣の芝東照宮が自らを「日光東照宮・久能山東照宮・上野東照宮に並ぶ四大東照宮の一つ」としていることから三大(もしくは四大)東照宮の一つに数えられることが多いようです。正式名称は東照宮ですが、他の東照宮との区別のためにて上野東照宮と呼ばれています。

 この日は丹波篠山産の黒豆奉納式が行われていました。

 寛永寺と隣接しており、フェンスを隔てて五重の塔が見えます。

 上野精養軒に隣接する大仏山という丘の上に、薬師仏を祀るパゴダ様式の祈願塔と志納所があります。

 ここに併設されているのが、上野大仏です。

 元々は江戸時代初期に建立され、幕末までにも火災や地震に度々遭いながらも1923年(大正12年)の関東大震災で頭部が落下するまでは像高約6メートルの釈迦如来坐像でした。震災後、頭部と胴体は上野寛永寺に保管されていましたが、顔面部を除いて第二次世界大戦中に供出されてしまいました。


 胴体を失った顔面は「これ以上落ちない」という意味で20年ほど前から受験生らが祈願するようになり、「合格大仏」と呼ばれているそうです。


 最後に上野公園のシンボル、西郷さんの像です。

 春にはお花見で賑わうスポットです。

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