あちこち旅日記

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城下町の風情が残る古河宿:日光街道宿場巡り⑩

 今回ご紹介するのは、日光街道9番目の宿場・古河です。JR宇都宮線古河駅近くの市内中心部にあります。


 古河は茨城の小京都と呼ばれ古くは万葉集にも登場。室町時代には、古河御陣とも呼ばれ、北朝足利氏の拠点の一つでした。古河公方の本拠となった時期には古河御所とも呼ばれていました。



 また、江戸時代には河川交通の要所として譜代大名の城下町・日光街道の宿場町として栄えてきました。歴代城主には大老の土井利勝・堀田正俊、老中の永井尚政・松平信之・本多忠良・土井利厚・土井利位などがいます。


 古河市の現在の人口は約14万人で、古河宿は古河藩が管理していた古河三宿(中田・古河・野木)の一つでした。将軍家による日光社参では、古河城は岩槻城・宇都宮城と並び、将軍の宿城とされ、日光街道における主要な宿場の一つでした。日光社参のときには、従者の数が膨大になるため、通常の宿泊施設だけでは足りずに、城下の武家屋敷や町屋も割り当てられたそうです。


 大名が宿泊する本陣は時期により場所が異なりましたが、最もよく知られているのは現在の駅前通りと交差点にあったもので、跡地には「本陣跡碑」があります。


 現在の日光街道の様子です。

 古河宿や日光街道の碑が残っています。

 旧街道はここを左折します。宿場町にあった昔からの街並みが広がります。横山町にある真言宗豊山派の寺院・神宮寺は代古河公方・足利成氏が帰依していた僧・良宥が鎌倉に開かれたものが、1446年(文安3年)に古河に移転したとされています。

 旧日光街道はこの先で北に曲がります。問屋場や旅籠、茶店等が軒を連ねた宿場の中心街はこのあたりです。今は、「よこまち柳通り」という名前で整備されています。



 「よこまち柳通り」を北に入ると, 鰻料理の老舗・武蔵屋本店(上の写真右奥の古商家)の向い側の広場に「関東の奇祭・古河提灯竿もみ祭り 発祥の地」という碑が建っています。


 「古河提灯竿もみ祭り」は 毎年12月の第1土曜日に開催され, 市内の各グループが 20m近い竹竿の先に提灯をつけ,大勢で激しく揉み合いながら 相手の提灯の火を消しあうという祭りで、「関東の奇祭」と呼ばれています。観光協会のHPに動画があります。今は県境をまたいでいますが、隣の野木宿にもこのお祭りが行われており、昔は同じ古河藩にあったことがうかがわれます。



 よこまち柳通りに入らず、真っすぐすすむと「杉並通り」に入ります。ここには武家屋敷が残ります。

 古河城の堀も多くは埋め立てられてしまっており、城跡はあまり残っていません。桜門跡にも碑が立っているだけです。

 杉並通りより南に行った、旧石町はかつては穀物問屋が多く、古商家が残ります。


 日光街道から古河城に通じる道は「肴町(さかなまち)通り」といい、蔵づくりの商家が残ります。


 日光街道からの肴町通りへの入口には古河藩使者取次所の跡があります。参勤交代や日光参詣で通行する大名が古河城主に敬意を表すための挨拶役の使者を接待し、ご馳走をふるまう番所があったところです。

 古河駅構内には観光案内所があり、いろいろ丁寧に教えて下さいます。



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