大横綱・大鵬の偉大さと遺伝子:深川江戸資料館(後編)
江戸時代の町並みのほかに、江戸深川博物館のもう一つの目玉は伝説の大横綱・大鵬の展示です。
私が記憶している大鵬は、もう引退直前で往年の力はありませんでしたが、実物大のパネル(187㎝、153kg)をみると力強さを感じます。
ちなみに大鵬の孫にあたる王鵬(最高位関脇)の等身大パネルが並んで展示されています。王鵬の方が(191㎝、177kg)の方が一回り体格が大きいはずですが、大鵬の方が大きく見えます。気のせいでしょうか。
王鵬がつけている化粧まわしは、大鵬の出身地の北海道弟子屈町から贈られたものです。弟子屈町では、王鵬の弟で、2025年5月場所で新十両に昇進した夢道鵬にも化粧まわしを贈っています。
大鵬は一代年寄りだったため、2005年の大鵬が日本相撲協会を定年退職したことで、大鵬部屋の名称は今はありません。当時部屋付き親方であった大嶽が継承し、大嶽部屋に名称変更されていますが、大嶽部屋の看板には「大鵬道場」の名が冠されています。王鵬、夢道鵬の兄弟も、大嶽部屋所属となっています。
大鵬は1940年日本の統治下にあった樺太で出生しています。父親のウクライナ系ロシア人のマルキャン・ボランコは1944年に戦況が悪化した際に、樺太の外国人居留地に移送され、終戦後大鵬が母親に連れられて日本に引き揚げた後、連絡が途絶えてしまいまいました。その後、外国とつながりがあったというマルキャンはソ連当局に逮捕され、反ソ宣伝に関与したことを理由に強制収容所に入れられてしまいます。その後1954年に恩赦が認められ出獄しますが、1960年に大鵬が初優勝した11月九州場所中の死去してしまうます。マルキャンの名誉が回復されたのはゴルバチョフ政権になってからでした。
大鵬は引退後、ウクライナでの相撲の普及に尽力し、ハルキウ市では相撲大会が行われています。2025年九州場所で優勝し、史上最速での大関昇進となった安青錦はウクライナ出身であり、これにはウクライナでの相撲の普及の成果があったであろうことはいうまでもありません。
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