あちこち旅日記

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清澄白河の地名の起源になった松平定信

百代の過客

 前回ご紹介した深川江戸資料館の所在地は、江東区白河1丁目で、最寄り駅は地下鉄清澄白河駅です。この白河の名前は、白河藩主であった松平出羽守定信の江戸屋敷がこの地にあったことにちなんでいます。


 その松平定信の菩提寺となっているのが、浄土宗霊厳寺です。霊厳寺はもともと芦原を埋め立てて造った霊厳島(現在の中央区新川)にありましたが、明暦3年の大火(1657年)で延焼し、翌年当地に移転してきました(江戸時代には火災のために、移転した社寺は少なくなく、町ごと移転したケースもありました)。


 浄土宗の始祖・法然(幼名勢正丸)。


 江戸六地蔵の5番目にあたる地蔵菩薩坐像。


 霊厳寺は白河藩主の松平家以外にも今治藩主久松松平家や膳所藩主の本多家など多くの大名家の菩提寺になっています。また、幕末には江戸の7大火葬場の一つになっていました。


 本堂


 松平定信廟


 大河ドラマ「べらぼう」では、すっかり悪役イメージがついてしまった松平定信(最後は名誉挽回しましたが)、渋沢栄一が松平定信を敬愛していたことは有名です。


 定信が町方に節減を命じて設立した「七分積金」は、寛政の改革ではひどいデフレをもたらしますが、明治時代になってから大きな役割を果たします。財政難だった東京府のインフラ整備や、東京養育院(福祉施設)に使われたほか、商法講習所(のちの一橋大学)の設立資金にも使われ、経済発展に貢献する人材育成にも貢献しました。

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