富岡八幡宮と深川不動尊の門前町:門前仲町を休日散歩
今回は、梅雨の晴れ間の天気のよい日に門前仲町を休日散歩してきました。門前仲町は古くは永代寺(現深川不動尊)、現在は富岡八幡宮の門前町として栄えてきました。
富岡八幡宮は江戸最大の八幡宮で、八月に行われる祭礼「深川八幡祭り」は江戸三大祭りの一つになっています。また江戸勧進相撲発祥の神社でもあります。1684年(貞享元年)に初めて寺社奉行の許しを得て勧進相撲が行われています。
1627年(寛永4年)、菅原道真の末裔といわれる長盛法印が当時永代島と呼ばれた小島に創祀し創建したと言われています。旧社格は府社。東京十社の一つでもあり、神社本庁の別表神社でしたが、2017年に神社本庁を脱退しています。その後、かつての宮司が姉である当時の宮司に対して殺人事件を起こすなど、大きなトラブルもあり、様々な意味で話題を集めました。事件の影響から参拝客が大きく減少したといわれています。
手水舎:鳳凰型の吐水口からはセンサーで自動に給水されるようになっています。
江戸時代の測量家である伊能忠敬は、当時深川界隈に居住し、測量に出かける際は、安全祈願のため富岡八幡宮に必ず参拝に来ていたと伝えられています。2001年(平成13年)に境内に銅像が建立されています。
もう一つは、深川不動尊(成田山別院)です。江戸時代のはじめに歌舞伎役者の市川團十郎が不動明王が登場する芝居を打ったことなで、成田山の不動明王を拝観したいという気運が江戸っ子たちのあいだで高まり、これを受けて、1703年(元禄16年)に成田不動の「出開帳」が富岡八幡宮の別当であった永代寺で開かれたのが、深川不動堂の始まりとされています。
永代寺は明治維新後、神仏分離令により廃寺となり、旧境内は深川公園となりました。しかし不動尊信仰は止むことがなかったことから、1878年(明治11年)に現在の場所に成田不動の分霊を祀り、「深川不動堂」として存続することが東京府により認められました。その際、境内地として深川公園の一部を永久かつ無償で借用することが認められています。その後1881年(明治14年)に本堂が完成しています。
旧本堂:「おねがい不動尊」が安置されています。
本堂:旧本堂の西側にある新しい建物で2011年(平成23年)に完成。外壁に梵字(不動明王真言)を散りばめてあります。
門前の参道は通称「人情深川ご利益通り」と呼ばれ、菓子店や食事処が軒を連ねています。毎月1・15・28日に縁日が開かれて賑わっています。
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