甲府に行ってきました(中編):江戸時代の甲府城・舞鶴城
前回報告した武田神社は、戦国時代までは武田氏の居城となっていました。これに対して徳川体制になってからは築かれた新城は「舞鶴城」と呼ばれており、かつては20haほどの広大な城郭でした。現在は、城跡の一部が「舞鶴城公園」「甲府市歴史公園」として開放されています。
甲府駅南口を出ると、徒歩2~3分でアクセスできるので、大変便利です、
よく見えませんでしたが、棒術のような武道の稽古をしていました。
明治天皇への謝恩碑。1907年(明治40年)の大水害など度重なる水害によって荒廃した山梨県内の山林に対し、明治天皇より山梨県内の御料地の下賜が行われたことに対する感謝と水害の教訓を後世に伝えるために1922年(大正11年)に建設されたものです。
本丸跡は一面に芝生が広がっています。奥に見えるのが天守台です。
天守台からは市内が360度見渡せます。こちはら南側。
南東側
東側
復元された鉄(くろがね)門
稲荷曲輪
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