あちこち旅日記

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旧放駒部屋と乃木大将ゆかりの地・城下町長府:長州の旅・下関北九州編⑪

 長州の旅、最後の訪問地は長府でした。長府には下関から国道9号線(山陽道)を経由する路線バスが頻発しているので便利です。かつて長門国の国府が置かれ(長府の名の由来)、江戸時代は長州藩の支藩・長府藩の城下町として栄えました。歴史上重要な地域ではありますが、行政区画上は下関市に属し(1937年、昭和12年に旧長府町が下関市に編入)、現在では大半が住宅地になっています。



 鳥居通りというのは忌宮神社の鳥居のことです。城下町長府のほぼ中心に位置しており、仲哀天皇(第14代天皇)が熊襲平定の際に滞在した行宮である豊浦宮の跡とされています。旧社格は国弊小社で、長門国二宮に当たる格式高い神社です。



 摂末社の荒熊稲荷神社。文化・文政年間に長府藩十一代藩主毛利元義が江戸参勤交代の帰途、京都の伏見稲荷大社に詣でで分霊を勧請したものです。1848年(嘉永元年)に現在地に遷し社殿が再建されました。


 この荒熊稲荷神社で毎年11月3日に「長府の三日相撲」が盛大に行われております。1974年(昭和49年)に山口県出身の元大関魁傑(引退後は年寄放駒を襲名し放駒部屋を創設、現役時代はガチンコ大関と慕われ、放駒親方としては第11代理事長として八百長問題に対処されました)が参拝して九州場所で優勝して以来、放駒部屋一行が毎年参拝してました(その後、親方の定年に伴い放駒部屋は閉鎖されましたが、その後復活)。ちなみに、弟子の元横綱大乃国(現芝田山親方)もガチンコ力士として人気でした(当時大横綱●●富士の疑惑が報じられていた中でよく比較されていました)


 境内には相撲資料館があります。


 長府は、日露戦争を指揮し、昭和天皇の教育係も務めた乃木希典陸軍大将(当時)の出身地でもあります。乃木家は長府藩の藩士で、乃木希典の父・乃木希次は江戸詰藩士でした。このため、乃木希典は江戸の上屋敷で生まれ、10歳まで江戸で過ごしました。長府で乃木が住んでいた邸宅は現存しており、敷地は乃木神社(旧社格は県社)になっていますが、残念ながらこの日は行くことができませんでした。この「のぎさん通り」の先にあるようです。


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