石田三成が落とせなかった忍城:たびの街のたび②
行田市にある忍(おし)城は、豊臣秀吉の小田原攻めの際に石田三成率いる軍勢に水攻めに遭いましたが、落城しなかった城として有名です。
忍城は北を利根川、南を荒川に挟まれ、沼地や自然堤防を活かした構造の平城です。その要塞強固な構造で水攻めを耐え抜いた実績から「浮き城」「亀城」などと呼ばれました。
平城は山城と比べて敵の攻撃に対して一見して弱そうですが、大きな川に挟まれていることで、川の氾濫に対しての備えが日頃から整っており、意外にも水攻めに強かったようです。忍城の成田軍も石田三成の築いた堤防を自ら破壊し、城の周りの足場を悪くし、豊臣方の士気を低下させたことが勝因とされています。
忍城御三階櫓は明治維新の際に取り壊されたてしまい、現在のものは再建されたものです。隣接する郷土博物館とはわたり廊下でつながっています。
残念ながら御三階櫓の内部は撮影禁止でしたが展示物が多数あります。
郷土博物館には、忍城以外にも足袋産業に関する展示もありますので、おすすめです。
江戸時代には、徳川家康の四男・松平忠吉が忍城に配置されましたが、その後、1639年(寛永16年)には老中・阿部忠秋が入り、1823年(文政6年)に白河に移るまで阿部家の統治が続きます。その後も、阿部家は幕府内でも重責を担いますが、その分出費がかさみ、経済的には困窮していたとも伝えられています。
それでも、1823年以降に桑名から移封された松平家の下で、教育を重視する文化は明治維新期に引き継がれていきました。
阿部家というと、日米和親条約を結んだ開国派の老中・阿部正弘(福山藩主)が有名ですが、阿部忠秋の系譜ととつながりは不明です。
行田駅からのバスは忍城ターミナルに着きます。ここには無料駐車場があるので、お車でいらっしゃっても大丈夫のようです。観光案内所がここにもあります。中には忍者体験ができたり、忍者の装束で写真撮影ができる施設があります。
沼◯(きへんに高)御門跡の碑があります。
浮き城の径を通って行きます。
カラー傘が何ともいえない風情です。
東門から入ります。
忍城の鐘
博物館にもありました(どちらかがレプリカのようです)。
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