球春迎えた東京ドームシティ:正岡子規が伝えた野球の季節感
プロ野球が開幕しました。11~13日は巨人-阪神の3連戦が開催され、試合前の東京ドームには続々と人が集まってきていました。まさに「球春」到来です。
ただし、試合開始20分前なのに入場待ちの列はそれほど長くありません。
チケットも当日売りが結構ありました。巨人-阪神戦といったらかつてプラチナチケットだったのですが、ちょっと情けないですね。WBCであれだけ盛り上がったのですから、両チームとも頑張ってNPBも盛り上げて欲しいです。
チケット売れ余っているとこんな取り締まりは必要なさそうですね。これではダフ屋さんは商売になりません。
ドーム内は完全キャッシュレスですが、
顔認証を登録して入場すると、手ぶらで食事もできるようです。
東京ドームは、野球殿堂博物館も併設されています。最近ではWBCの優勝トロフィーが展示されていました(現在はもう展示されていませんが、ウイニングボールはまだ展示されています)。
野球殿堂博物館には、日本の野球の発展に大きく貢献した方々の功績を永久に讃え、顕彰するために表彰レリーフ(ブロンズ製胸像額)が展示されています。選手、監督・コーチだけでなく、野球に関する文芸・学術・美術・音楽等の著作物を有する方や、報道関係者としての実績がある方も特別表彰もあります。その中の一人に2020年に殿堂入りした正岡子規がいます。
正岡子規は、「野球」の名づけ親とされています。東京大学予備門時代にベースボールを知り、野球に熱中した後、郷里の松山にバットとボールを持ち帰り、松山中学の生徒らにベースボールを教えたと言われています。「野球」という表記が初めて見られたのは、1916年(明治23年)に書かれた『筆まかせ』の雅号の項ですが、子規の幼名「升」から(のぼーる)と読ませています。また、子規は新聞で野球のルール、用具、方法などについてくわしく解説するなど、野球の普及に大きな貢献をしています。野球を詠んだ短歌、俳句も数多く見られます。正岡子規の句の中に、「夏草やベースボールの人遠し」というのがありますが、これは己の死期を悟って詠んだ作品のようです。
ところでマスメディアで「球春」が使われるようになったのは1950年代になってからのようです。
「球春」という言葉は「季語」として認められたのは、2006年で『季語集』(岩波新書)に初めて掲載されています。
これに対して、「高校野球」「甲子園」は夏の季語になっています。
野球に関する季語が認められるとは、子規も天国から喜んでいるのではないでしょうか。
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