徳川将軍家の菩提寺・増上寺
東京に出てきて40年強になりますが、あまり歩いたことがなかったのが芝周辺です。妻の出産が近くの東京慈恵会医大病院でしたので、その時以来の芝散歩になります。
シンボルでもある増上寺の大門は、浜松町にあり、都営地下鉄では大門が駅名になっています。
実はこの大門。長らく増上寺の手を離れ、東京都が保有していました。もともとは増上寺の総門でしたが、明治初期の寺領没収で維持管理が難しくなったため、増上寺から当時の東京府に寄付されていました。戦後、増上寺が東京都に返還を申し入れましたが、都の財産目録に記載されていなかったことから、所有者不明の状態が長く続き、増上寺に返還されたのは2016年(平成28年)になってからでした。
なお、増上寺は浄土宗七大本山の一つで、1393年(明徳4年)に創建されました、当時は江戸城近くにありましたが、1598年(慶長3年)に江戸城が拡張された際に、芝に移転してきました。その際、江戸城の大手門だった高麗門が徳川家康のより寺の表門として寄贈されたのが総門のはじまりです、
旧総門は1622年(元和8年)に建て替えられましたが、1923年(大正12年)の関東大震災で被災し、解体されていました。現在のコンクリート製の総門が東京市(当時)の市民の寄付で建てられたのは、1937年(昭和12年)でした。
かつての寺領は広大で、現在の芝公園(都立芝公園、港区立芝公園、プリンス芝公園の総称)から東京タワーまでに及びます。東京タワーの建設にあたっては、墓地だったところが増上寺から提供されました。
増上寺には徳川将軍15代のうち6人(秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂)が葬られています。
黒門
慈雲閣
東京タワーを背景に光摂殿
光摂殿(左)と大殿(右)
増上寺会館と寺務所
光摂殿
大殿
安国殿
パワースポットとして有名らしい熊野神社(熊野山所大権現宮)
紅葉が映えました。
その後、増上寺は数々の歴史の舞台になっていきます。赤穂浪士事件のきっかけとなった「畳替え」もこの増上寺の畳でした(これには諸説あり)。最近では、安部元総理の葬儀が行われた場所にもなりました。
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