米沢城址にある上杉神社:JR東日本週末パスを使い東北旅行③
米沢観光でのメインは上杉神社でした。現在は上杉神社を含めた米沢城址一帯は松が岬公園として整備されています。
(出所)上杉神社ホームページ
上杉神社の建立は1871年(明治4年)と比較的新しいです。実は、ここは江戸時代までは米沢城でした。1578年(天正6年)に戦国の名将上杉謙信が越後の春日山城にて49歳で急逝すると、その遺骸は城中不識庵に仏式で鎮祭されました。その後、養子で後継者の上杉景勝が会津を経て米沢に移封されるに当たり、御堂は米沢城内に移されました。明治に入り、御堂のまま神祭に改め、米沢藩中興の名君上杉鷹山を合祀して上杉神社と称することになったのが上杉神社の始まりです。当初の社格は県社でしたが、1876年(明治9年)には新たに神殿が成り、1902年(明治35年)には別格官幣社に列せられました。別格官幣社については、以前にも解説を投稿していますので、以下ご参照ください。
バス停のある城史苑から東口を入ると「毘」「龍」の2つの上杉謙信の軍旗が建っています。「毘」は毘沙門天を、「龍」は不動明王を表しています。
神社は米沢城のお堀に囲まれています。
上杉謙信像
上杉景勝、直江兼続主従像
米沢城は伊達政宗生誕の地でもあります。政宗の父で伊達氏第16代当主・伊達輝宗は当時米沢城を居城としていました。
直江兼続像
上杉謙信家訓
拝殿
本殿
末社・福徳稲荷神社:享保年間の6代藩主上杉宗憲の時代(1722~34)に、城中二の丸に一社を建て、城内守護神として祭祀されたことに始まっています。9代藩主上杉鷹山の信仰の篤かった三の丸稲荷祠を合祀して、上杉神社境内に移し、末社としたものです。
稽照殿:上杉家歴代宝物及び文化財等約300点を収納・展示している上杉神社の宝物殿です。
米沢藩政改革を行った江戸時代の名君として知られる9代目藩主・上杉鷹山。今でも米沢市民に慕われており、その人気は、上杉謙信や上杉景勝を上回っている感があります。
次回は上杉鷹山を祀る松岬神社を紹介します。
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